「アドルフ・アイヒマン」という人物を知っているだろうか。ナチス親衛隊の中佐で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に移送し、管理する部門で実務を取り仕切っていた人物だ。彼の指揮下で逮捕され、収容所に送られ殺されたユダヤ人は、数百万人にのぼるといわれる。
第二次世界大戦後、潜伏していたアイヒマンは1960年5月のアルゼンチンで見つかり、イスラエルに移送され、そこで裁判を受ける。「アイヒマン裁判」だ。
この裁判を傍聴していたユダヤ人哲学者のハンナ・アレントは、アイヒマンの言葉から彼の本質を見抜く。数多くの同胞たちを収容所に押し込み、殺した極悪人だと思われていたアイヒマン。だが、彼が裁判で見せた姿は「いかにも悪人」ではなかった。彼は「ただの平凡なドイツ人」だったのだ。そして、その現象を「悪の凡庸さ」と呼んだ。
■なぜ平凡な人間が悪人に変わるのか?
ただの平凡な人が、思いもよらぬ非倫理的な言動をとる。真面目に働いていた人がパワハラをしたり、人を騙したりする。これらは私たちの日常においても起こり得ることだ。普通の人だから安心なのではなく、普通の人がそのような悪人に変わることはいくらでもある。
『怖い凡人』(片田珠美著、ワニブックス刊)は、ヒトラー的支配者とアイヒマン的凡人を軸に、平凡な隣人はいかに悪をなす凡人に変わっていくかを精神科医の著者が解説する一冊だ。
本書から読み取れるアイヒマン的凡人の特徴をあげていくと、それほど実力があるわけではない、地道な努力をするわけでもないが、権力者に対して無批判に服従するところがある。彼らは、悪いと思う行為でも上から命令を受ければ実行に移してしまう。いわゆる自己保身である。
その一方で、ヒトラー的支配者はこうした無批判に服従するアイヒマン的部下を重用する現象も見逃せない。自分に逆らわず、自分の意向を忖度して行動し、ときにはゴマをすってくれる。文字通り「都合がいい」部下を重用するのである。
さらに、自分を脅かそうとする、デキる部下を敬遠することも少なくないという。著者の片田氏は「こういう上司を私もたくさん見てきた」とつづり、名門国立大学で起きた出来事や、大企業において社長後継者として指名する人といった事例をあげる。
アイヒマン的凡人はすぐ側にいる――本書を読むとそれのことを実感できるだろう。
ただ、それだけではない。注意すべきなのは、自分自身がアイヒマンになっている可能性もある。上を批判することもなく、今の生活が一番大事だということから、非倫理的だと思われることを指示されても淡々とこなしてはいないだろうか。
そうした状況から抜け出すには、自分の頭で考え抜くことが必要だと片田氏はつづる。思考停止にならず、考えて行動し続ける習慣を身に付ける。それが結果的には自分の身をつながることにつながるのだ。(金井元貴/新刊JP編集部)
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。