「そうしないと実力がつかないから」の壁
3つ目は簡単には排除しづらい観点かもしれない。野球でもサッカーでも、長時間練習しなければ強くなれないという点だ。確かにその側面はあるであろう。しかし、スポーツ科学の知見からは、「長くやればやるほどうまくなる」という信仰は否定されているという。少なくとも、限られた時間内での練習の仕方が重要であって、ただ長時間やればいいわけではない。部活動でも仕事でも、いくらでも時間があると思ってしまえば、工夫がなされることもなく、生産性も高まらない。時間を限ることで知恵が出てくるし、集中度が高まる。
そもそも、部活動の場合、試合に勝つことだけが目的ではない。おそらくより上位の目的は、人間形成であろう。その達成のために長時間の練習が不可欠というわけではないはずだ。
仕事においても、成果をあげ、収益をあげることができるようになるということが目的であり、やはり長時間働かなければ、その目的が達成できないというわけではないはずだ。多くの仕事において、繁忙期というのはあり、長時間労働が必要な時期もあるに違いない。部活動でも、試合前に連係プレーを確認する必要があったり、数日間、合宿形式で集中的に練習を重ねるということはある。仕事でも部活動でも、そうした機会に実力をつけることもできる。ただ、そうした状態を常態化してはいけないということだ。
以上、3つの観点について述べてきたが、1つ目と2つ目は心理的な壁という側面が強いに違いない。3つ目にしても、勝手な思い込みの可能性は高く、少なくとも長時間練習や長時間労働を常態化させる必然性はないものと思われる。双方ともに時代の趨勢でもあるので、少しずつスタイルを変えていくほかはない。
そもそも、「長時間働け」と言われているわけではない。もちろん「生産性を高めよ」という要請はある。しかし、「そんなに長い時間働かなくてもいい」と言われているわけなのだから、健全な方向であることは間違いないであろう。
「死ぬ間際に後悔することランキング」というような記事にたびたび触れる。そのなかでは、「もっと家族との時間を多く過ごせばよかった」という項目が、必ずといっていいほど上位にランキングされる。そうした調査が行われるようになったきっかけとなったと思われる本がある。終末期ケアに携わり、患者が亡くなる前の数週間を共に過ごしたオーストラリア人看護師による『The Top Five Regrets of the Dying(死ぬ瞬間の5つの後悔)』だ。彼女によれば、ほとんどの人は死の間際に人生を振り返り「後悔や反省」の言葉を残すという。そのなかでは、「あんなに一所懸命働かなければよかった」が2番目に挙げられている。この言葉は、看護にあたった多くの男性が残した言葉だそうだ。小さかった子供や自分の伴侶ともっと一緒に時間を過ごすべきだったと後悔したそうである。
ちなみに、最も多く聞かれた言葉は、「人の期待に添うのではなく、もっと自分が望むように生きるべきだった」だったそうである。こうした後悔や反省は、死ぬ間際では遅く、定年を迎えた時でも遅い。働き盛りの頃にこそ、いったん立ち止まり、振り返って考えてみるべきことであろう。
(文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)