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田部康喜「会話のネタがつくれちゃう!? 新メディア時評」第4回

暴走できない石原、維新が誤った全国進出計画とブランド戦略

文=田部康喜

 ちなみに大阪の高島屋本店は、南海電車のターミナルである難波に本拠を置くが、関西の高級百貨店は、阪急と相場が決まっている。

 高島屋は戦後、本格的に東京に進出した。日本橋店を拠点として、「ダイヤモンドカット」戦略と名づけた店舗の出店計画によって、放射線状に店舗を拡大していったのである。いまや首都圏の代表的なショッピングモールである二子玉川店が、モータリゼーションの端緒がみえるかみえないかの1960年代の作品であることを知って、驚かない人があろうか。

●維新の誤った東京攻略戦略

 関西発祥の政党である維新は、高島屋のような東京攻略戦略を立てるべきであった。まずは、関西の地盤を固める。難波の本店を拠点として、南海沿線を和歌山方面にかけて顧客を囲っていった高島屋に学んで、関西の自民党や公明党などの阪急に相当する政党に対抗する道をまずはとる。そして、独力で首都圏を攻める。これが正攻法だったと考える。

 おそらくこの考えには、「維新は石原新党との合併で時間を買ったのだ」という反論があろう。つまり、東京の企業との合併を図ることによって、政界の主導権を握るために、「時間」を節約したのだと。

 しかしながら、ブランドの確立は、やはり独自路線をとるべきであったろう。独自路線をとらなかったことが、「石原慎太郎」と「橋下徹」という二重ブランドの結果を生んだといっても過言ではない。ブランド戦略と首都圏/全国進出計画の、いずれもが存在しなかったのではないか。
 
 これが、「維新」について企業戦略という視点からみた、筆者なりの結論である。

●石原に維新の会との合流は不要だった

 石原新党に企業戦略さえあったとしたら、石原は総理になりえた、と筆者は思う。維新の会との合流は不要ではなかったか。

 選挙で個人が獲得した得票数の歴代ランキングは、今回の東京都知事選で当選した猪瀬直樹が434万票を記録するまでは、第1位が1971年都知事選の美濃部亮吉で361万票、第2位が2003年同選挙の石原で308万票である。第3位は、石原が参議院全国区で獲得した301万票である。

 東京比例区で、維新が獲得した得票数は130万票である。石原新党は、石原をそのトップとして交じり気なしの「石原」ブランドを確立していたとしたら、東京比例区の獲得票数は100万台でとどまらなかったのではないか。

 石原が総理になる可能性は、今回の総選挙でついえたといえよう。

●石原は暴走できない性格

 「暴走老人」のネーミングの話に戻りたい。石原はどうしてこの言葉を引用するのだろうか? それは、自らが「暴走」しない性格であることをよく知っているからではなかったか。つまり、石原は自分にない、あるいは自分の性格にあったらよいと思っている点を、田中眞紀子が言ってくれたからこそ、この言葉がお気に入りなのではないか?

 石原の個人史を振り返るとき、実は暴走しない彼の性格が浮かび上がる。彼は誰かに担がれた結果として、異彩を放つのである。東京都知事選を4回も勝ち抜いた政治家も、その政治人生は順風満帆とはいえない。しかも、その幾多の挫折は「暴走」しなかった結果である。

 参議院全国区で301万票を獲得した石原が、75年の都知事選で美濃部の268万票に対して、233万票で敗れる。この屈辱は、誇り高い彼にとって忘れがたい痛恨事であったろう。しかも03年の都知事選において、得票率で70%以上を占めながら、投票率が40%台だったために、308万票と、個人獲得票数歴代1位だった美濃部を抜けなかったことも悔しかったのではなかったか。投票率さえ高ければ、軽々と美濃部を抜いて75年の敗北の過去をすすいだに違いない。後継指名した猪瀬が、美濃部の前人未到といわれた得票数を抜いたことで石原は救われたと思うが、うがち過ぎだろうか。

 石原のもうひとつの痛恨事は、82年の自民党総裁選で推した中川一郎が自殺したことであろう。石原は中川派に属して参謀役を務めた。その後、中川派を引き継ぐが、維持できなかった。石原派は福田派に吸収されるのである。

 95年の都知事選において、青島幸男が170万票の票数で都知事に就任する。石原が75年に獲得した200万票台の得票に比べるべくもない数字である。

 そして、石原は国会議員25年表彰の国会演説で突然、議員辞職を表明したのだった。

田部康喜

田部康喜

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員(経済、農業、社会保障担当)などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。メディア論、産業論、政策論など、幅広い分野で執筆、講演活動をしている。

個人公式サイト 株式会社ベネル 田部 康喜公式サイト

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