『明日、ママがいない』公式サイト(「日本テレビ HP」より)
4月8日には放送倫理・番組向上機構(BPO)が「全体として視聴者に受容される内容になっていった」とのコメントを公表したが、あらためて初期の放送分を見直してみると、主人公(芦田愛菜)に「赤ちゃんポスト」からとった「ポスト」というニックネームを付けたり、施設長(三上博史)に「お前たちはペットショップの犬と同じだ」といった乱暴なセリフを言わせるなど、見る側にショックを与える内容に問題がなかったとはいえない。
特に「赤ちゃんポスト(正式名称:こうのとりのゆりかご)」は実在の取り組みであり、全国で1カ所だけ設置されている慈恵病院が、この名称の使われ方に抵抗したのは当然だろう。
さらに、このドラマの舞台となっている「コガモの家」は「児童養護施設」として、また「グループホーム」として設定されている。それが現実の存在であるだけに、「誤解、偏見、差別を生む」「施設の子供たちが傷つく」という当事者からの批判が起きたことも理解できる。
●このドラマが伝えたもの、残したこと
2月上旬になって、日本テレビが内容を改善する方向を示したことにより、その後、騒動は一応沈静化した。また内容も、途中から明らかに登場人物たちの言動がマイルドになった。
そして、最終回。半ば予想通りの結末だったが、ようやく最後で、ドラマが伝えたいことを視聴者は感じ取れたのではないだろうか。
施設にいた4人の子供はそれぞれ、違った道を進んでいった。ここで大事なのは、彼らが大人(他者)の意向ではなく、自らの意思で選択した道を歩き出したことだ。子供たちもまた自己決定をしなければならない時代になったことを示しているように感じた。
また、現代的な親と子の断面も切り取って見せた。それは「親子関係に正解はない」という事実だ。最終的に子供が幸せになればいい、という主張も含んでいた。
今回、施設長の発言などが、児童養護の実態と異なると批判された。その批判が根拠のあるものであることは前述した通りだ。
しかし、あえて言えば、特定の個人を傷つける場合を除き、フィクションの表現は顰蹙を買うものであれ、目を背けたくなるようなものであれ、可能な限り許されるべきだ。誇張して表現することで、本質を浮かび上がらせることもある。ただし当事者への配慮は必要で、それもまた「表現すること」の一部だろう。