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筈井利人「陰謀論を笑うな!」

ケネディ米大統領暗殺、55年目の真実…ジョンソン副大統領“黒幕”説が広まる

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ジョン・F・ケネディ大統領(AP/アフロ)

 1963年11月22日のジョン・F・ケネディ(JFK)米大統領暗殺から55年目を迎えるのを前に、ケネディの後任に副大統領から昇格したリンドン・B・ジョンソン(LBJ)にスポットを当てるハリウッド映画『LBJ ケネディの意志を継いだ男』(ロブ・ライナー監督)が全国で上映されている。思いがけず大統領の重責を担った重圧のなか、ケネディの理想を実現するため努力した誠実な人物としてジョンソンを描く。しかし、このジョンソン像は真実だろうか。

 それというのも、ジョンソンはケネディ暗殺の黒幕だったという衝撃的な陰謀説が以前からくすぶり続けているからだ。

 犯罪には(1)動機、(2)手段、(3)機会の3要素が存在するとされる。ジョンソン黒幕説のポイントを紹介しながら、点検してみよう。

動機


 まずジョンソンには、合衆国大統領という強大な権力への並外れた欲望と、通常の方法ではその望みをかなえられないという動機があった。テキサス州の農村で生まれ育ったジョンソンはまだ小学校低学年のとき、将来大統領になると初めて宣言した。これだけなら子供によくある話だが、ジョンソンの場合、大統領になる夢は一生を賭けた執念となる。そのためには手段を選ばなかった。

 ジョンソンは民主党に籍を置き、1948年、上院議員に初当選する。これは水増し投票による不正なものだったといわれる。ジョンソンの顧問弁護士を務めたバー・マクレラン氏の著書『ケネディを殺した副大統領-その血と金と権力』によれば、投票終了後、有権者を捏造し、その名前を登録有権者名簿に書き加え、開票結果にその数を上乗せしたという。

 実質的な党代表である上院院内総務にまで出世したジョンソンは1960年、大統領選に出馬するが、党指名候補争いでケネディに敗れ、屈辱を味わう。大統領になる執念を実現するには2つの選択しかなくなった。次の大統領選挙まで待つか、不慮の事態を期待してケネディの副大統領候補に甘んじるかである。ジョンソンは後者を選び、新聞記者に意味深長な言葉を語った。

「大統領の4人に1人は在職中に死亡している……一か八かやってやろうじゃないか!」

 ジョンソンには大統領を目指すのにゆっくり時間をかけていられない理由があった。健康問題だ。ジョンソンのおじは57歳の若さで心臓発作で死亡し、父親もやはり60歳のときに心臓病で死んだ。ジョンソン自身もすでに47歳の若さでひどい心臓発作に襲われ、危うく死にかけている。これでは長寿は望めず、あと5〜10年の猶予しかないという焦りがあった。

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