暗殺前日の夜、ジョンソンはホテルのスイートルームにケネディを訪ね、大統領と激しく口論した。自分の友人で大統領と同乗する予定のジョン・コナリー・テキサス州知事を自分と同じ後続の車に移し、代わりに政敵であるラルフ・ヤーボロー上院議員をケネディと同乗させるよう主張したのである。ケネディがこれを拒否すると、逆上したのだった。ジョンソンは明らかに、翌日に何かが起こることを知っていたのである。
そして暗殺当日、ジョンソンはさらに不可解な行動をとる。最初の銃弾が撃たれるより30〜40秒も前から、車の中で身をかがめ始めたのだ。ジョンソンの車が暗殺現場のエルム通りに入ったところを撮った写真を見ると、ジョンソンはすでに視界から完全に消えている。後部座席の他の人々の表情はみな冷静で、明らかに銃撃はまだ認識されていないのにである。
ケネディが撃たれた後の行動も不可解だ。ジョンソン自身が次の標的になる恐れがあり、警護スタッフからすぐダラスを離れるよう要求されたにもかかわらず、ジョンソンはケネディの死が確認されるまで、搬送先の病院を離れようとしなかった(映画では「大統領が闘っているのに離れるわけにはいかない」という情緒的な理由で片づけられる)。
大統領となったジョンソンは、ケネディがまだ埋葬されてもいないうちに、ケネディがパレードで乗ったリムジンをデトロイトに送り、完全に修理させる。車体と窓は新品と交換され、内装もすべて外されたため、弾痕や血痕などあらゆる証拠が失われてしまった。一般人が行えば証拠隠滅罪に問われかねない行為である。ジョンソンが暗殺に関与していないなら、なぜそんなことをしたのか。
怪優ウディ・ハレルソンが柄にもなく善人のジョンソンを演じる『LBJ』ではもちろん、暗殺の黒幕であることを示すようなエピソードは出てこない。ただし一つだけ意味深長な場面がある。ジョンソンがシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』から「シーザーよりローマを愛した」というブルータスの台詞を引用してみせるのだ。
ブルータスはいうまでもなく、古代ローマの元首シーザーを殺した暗殺者である。ジョンソンを美化する映画に誰かが忍び込ませた、隠れたメッセージだろうか。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)
<参考文献>
バー・マクレラン、赤根洋子訳『ケネディを殺した副大統領——その血と金と権力』(文藝春秋)
クレイグ・ジーベル、石川順子訳『テキサス・コネクション——JFK暗殺 ジョンソンの最も危険な賭け』(竹書房文庫)
Phillip F. Nelson, LBJ: The Mastermind of the JFK Assassination, Skyhorse Publishing.