失言だらけの政治家たち
政治家の失言がしばしば報道され、批判が殺到し、ときに辞任に追い込まれることさえあるのに、失言騒動は後を絶たない。
なぜか。それは、失言のもつ意味を国民も政治家もちゃんと理解していないからだ。失言が問題にされ、批判にさらされると、“仕方なく”本人が出てきて釈明をする。あまりに批判が殺到した場合は、謝罪し、発言を撤回する。これで一件落着だ。そこでは失言の本質が見逃されている。
世間を騒がせた近年の政治家の失言を見てみよう。
憲法改正論議に関して、ワイマール憲法が国民の誰もが気づかないうちに、いつの間にか変わっていた、ナチスのあの手口を学んだらどうかといった主旨の発言をし、批判を招き、不適切だったとしてこれを撤回した政治家がいた。「国民の気づかないところで、そっと憲法を変えてしまえばよい」とでもいうかのような失言を、なぜするのだろうか。
東日本大震災に言及した際に、「まだ東北で、あっちのほうだったからよかった」と発言し、激しい批判にさらされた政治家もいた。それに先だち、自主避難者についても「自己責任」だと突き放すような発言をしており、とても復興相という立場の人物とは信じがたい発言が続いたため、ついに辞任に追い込まれた。辞任にまで追い込まれかねない「被災者を冷たく突き放すような」失言を、なぜ繰り返ししてしまうのだろうか。
観光で稼ぐという話のなかで、「一番のガンは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドがまったくない。一掃しなければダメだ」と発言し、これが不適切だと批判にさらされ、発言を撤回し、謝罪した。「文化などどうでもいい。金儲けの邪魔になる文化人はいらないどころか害になる」とでも言いたげな失言を、なぜしてしまうのか。
つい先頃も、国会で在日米軍機の事故についての議論が行われている最中に、「それで何人死んだんだ!」とヤジを飛ばし、あまりに不適切との批判を受け、辞任に追い込まれた政治家がいた。沖縄県民の気持ちを考えたら許されるものではないが、「べつにまだ誰も死んでないのに騒ぐな!」といった思いを匂わすような失言を、なぜしてしまうのだろうか。