しかし、ときにこの診断名に「パワハラによるうつ病」などと書かれていることがあります。このようなとき、私は素朴な疑問を感ぜずにはいられません。主治医の先生は患者だけの話を聞いて、どうしてパワハラの有無を公式文書に記載するほどの確信を持てるのでしょうか。ハラスメントを認定した根拠が、一方だけの訴えでは、話が通りません。
多くの場合、そのような診断書は患者社員に言われるがままに書かれたのでしょうが、自分の名前で診断書を発行することの重みを、もう少し自覚してほしいと思ってしまいます。
会社の立場に立ってみると、社員に症状がある、病気である、働ける状態にないなどの医学的判断を専門家に判断してもらうことに反論はありません。しかしながら、ハラスメントの有無を会社の調査委員会等が判定する前に、「ハラスメントによる~」という診断書を提出されたとき、のちのちのことを考えると、会社は素直にこの診断書を受け入れることはできなくなってしまうのです。
「医学的内容は受け入れますが、ハラスメントの有無を判定してもいないときから、しかも一方のヒアリングだけであたかも事実確定のように書くなんて」と思う会社と、「医者もハラスメントと書いているのだからハラスメントなの。早く相手を処分してほしい」という相談者の気持ち。問題解決に向けて協力せねばならないのに、両者の気持ちに乖離が生じてしまう瞬間です。
産業医からの経験としては、主治医の先生は診断名にパワハラという文言は書かずに、診断名の下の説明のところに、「患者さんはパワハラと言っています」や「患者さんによると原因は職場での嫌がらせとのことです」など、“患者さんによると“と客観的事実の記載に止めてくれたほうが、会社のプロセスは非常に円滑に進みやすいです。
対処案としては、パワハラの解決に向けた各自の役割について、日頃から関係者が知っておくことでしょう。主治医はパワハラ判定ではなく医学的判断に徹し、会社は感情の救済(産業医やカウンセラー等)と事実の有無の認定(調査委員会等)を並列して進めること、そしてそのようなプロセスがあることを日頃から全社員が知っておくことが大切だと思います。
こじれないための処方箋は初期対応にある
私は産業医として年間1000人以上の働く人と面談をしています。パワハラの最初の相談窓口となることも多々あります。一方からしか話を聞かない私の役割は、初期対応としては相談者の感情の救済であり、パワハラの有無の判定ではありません。
過度な期待を持っている相談者には、パワハラの程度にもよりますが、結局は会社としてのパワハラの処罰は「落としどころ」的な意味合いもあり、関係者全員が納得というケースは少ないと感じているとお話しすることもあります。
また、パワハラの程度にもよりますが、その有無判定とは、必ずしも相談者が言うがままに「あり」となるものではないこと、「あり」の場合でも、加害者への処罰内容は会社が決めるものであり、厳しい処罰で相談者が救われるものとは限らないことをお伝えすることもあります。パワハラがあったと判定されても、必ずしも加害者が退職するわけではないのが現実です。
その上で、まずは実際にパワハラの有無を調査し判定を仰ぐかの判断を相談者にするように促しています。公平な判断のためには、会社は相談者社員だけでなく関係者各位からヒアリングをする必要があること、相談者がヒアリングに耐えられそうもない状態にあるときは、その旨お伝えし、実際にクレームとしてあげるのは待つことを提案もします。
このような対応をしていても、パワハラの問題は、関係者全員満足の結果になることは稀で、非常に難しいものと感じています。
ぜひ、読者の皆様においては、このようなパワハラの相談から判定につながる落とし穴とその対応方法を知ることで、もしものときも慌てずに対処できるようになり、自分や周囲のために、少しでも役立てていただければ幸いです。
(文=武神健之/医師、一般社団法人日本ストレスチェック協会代表理事)