「ある日突然、走れなくなったのです。いつもトレーニングの最後に5kmくらい走っていたのが1kmも走れないんです。やっぱり、左がだるくなりました。手術以来、念のため持っていたニトロを飲んでも、苦しさは改善しませんでした。そこですぐに病院に行きました。エコー、心電図では『異常無し』。以前の経験が蘇って、検査はあてにならないと思い、自分から医師にカテーテル検査をお願いしました。エコー、心電図で異常がなかったので、医師はカテーテル検査の必要はないと渋っていました。ところが、カテーテル検査の結果、左右の冠動脈の2カ所が80~90%詰まっていることがわかり、手術が必要ということになりました」(同)
カテーテル検査を行わなければ死に至った可能性もあり、医療の曖昧さを感じるばかりである。
術後すぐに悪化
再度、必要となった手術は2カ所のステント治療。この手術が18年7月である。一度にはできないため、2週間あけて2度目の手術を行った。2度目の手術は難しいといわれてはいたが、なんと術中に心筋梗塞を起こし、1時間の予定の手術が4時間以上かかった。さらに、術後点滴を外した後に40度の熱が続き、経過は思わしくなかったという。
その後、なんとか熱も下がり退院したが、翌週に義理の母の葬儀があり、那須へ急いだ。葬儀の後、苦しくなり那須の病院に運ばれたが、検査では異常が見つからず、苦しさはほどなくして落ち着いた。しばらくは問題なく過ごし、卓球やトレーニングも再開した。しかし、その後、体調が悪化し、100mも歩けなくなり、再度10月にカテーテル検査を行った。
「7月の手術は、9年前にバイパス手術で入れたステントの下に、さらにステントを1本入れたのですが、その間が詰まっていて、血管の99%が狭窄していました。皮一枚で血管がつながっていた状態です。よく生きていたなと思うばかりです」(同)
結果、それまで入れた2本のステントを覆うように長いステントを入れる手術を行った。文字通り、一命をとりとめた藤川氏。
「やはり、健康を過信してはいけないと思います。自分がおかしいと思ったら徹底的に医師に疑問を投げかけて診てもらうべきです。もし、あのまま9割の血管が狭窄している状態で運動して、酒を飲んでいたら、死んでいたかもしれない。本当によかったと思います」(同)
このような経験を振り返り、社会活動をするようになった経緯を語る。
「その後は、ようやく体調も落ち着き、インフィオラータの活動も精力的に行っています。振り返れば、死んでいてもおかしくない状態をなんどもくぐり抜け、生かされたものと感じています。今後は少しでも社会に貢献していければと考え、実行しています」(同)
藤川氏は、インフィオラータで使用した花を材料とした紙でスケッチブックをつくり、特別支援学校に無料配布を行い、学校・児童・保護者に向け、花の再資源化の学習、アートエデュケーションを支援している。
今年も各地でインフィオラータのイベントが行われる。近くで行われる際には、足を運んでみてはいかがだろうか。
(文=道明寺美清/ライター)