住む家も食べ物もない、風呂も入れない…簡単に「生活困窮者」へ転落する日本
胃潰瘍になって1年で逃げるように静岡へ帰りました。その後、インターネットカフェで店長として働くようになりました。これが07~08年で、ネットカフェ難民が世の中で問題になった頃です。店にも、明らかに風呂に入っていないだろうと思われる中高年のお客さんがよく来ていました。話を聞いてみると、「この時期は水が冷たくて体が洗えない」と言うのです。風呂にさえも入れない人が身近にいるのかと衝撃でした。
私にも、こうした問題に対してできることがあるのではないかと考え、店長をしながら夜回りをするようになりました。今は多少、社会保障制度がありますが当時は生活保護ぐらいしかなく、それを受けたくない人は本当に路頭に迷う状況でした。
一方で彼らを食い物にしようとする貧困ビジネスも横行していました。生活保護などについて学び、生活に困窮している方をサポートし、なおかつ貧困ビジネスにしない方法としてNPOのことも勉強するため静岡県のボランティア協会に就職しました。ボランティア協会では、NPOの中間支援や助成金の仕組み、資金調達を教わりました。その結果、富士POPOLOハウス、フードバンクふじのくになどが立ち上がることになりました。
生活困窮者を社会全体で支援
金子 POPOLOとは、どういう意味ですか?
鈴木 POPOLOとはイタリア語で「みんな」という意味です。「みんなで人助けをしていこう!」という想いで付けました。私もみんなに支えられています。たとえば、生活保護を申請しても受給までに1カ月かかるので、その間の住居はどうするのかということから、住居がない方の緊急一時宿泊所の富士POPOLOハウスができましたが、ここはNPO活動をされている方からお借りしています。また、2014年5月にスタートしたフードバンクふじのくにも、同じ想いを持った労働者福祉協議会、生協や労働組合の方々の協力が欠かせません。
フードバンクは、生活困窮者が給料を支給されるまで食事をまともに取れないような状況であったことが設立のきっかけです。品質に問題のない余剰食品を企業や家庭から集めて生活困窮者に届けるという仕組みなのですが、フードバンクの重要な点は、食べ物をきっかけとし、相談に乗り、本音を聞きだすことにあります。最初は、やはりみんな警戒心があります。たとえば、缶コーヒーだけ渡しても物足りません。なかなか食べられなかった食べ物を食べているうちに、嬉しくなって本音を話してくれることもあるので、人とつながるきっかけとなるのです。それから社会福祉協議会の方々に取りにきてもらうというのも特色のひとつです。