大手新聞社長、海外出張中に部下と愛人契約、経費で豪遊も
社長の烏山も大満足だった。記念事業を任されていた松野も「ほっと一息」といったところだった。政治部出身の烏山に対し、松野は経済部出身で、政治部出身者と経済部出身者が交互に社長に就く大都の慣行から後任に本命視されていたが、ワンマン体制を確立した烏山の不興を買えば、どうなるかわからないところがあった。松野も社長に就くと、烏山に劣らず絵画展や歌劇の日本公演の主催に熱心になったが、常務時代までは無関心だった。それでも、担当専務になると、気が進まないとも言っていられなくなったのだ。
連日、秀香が営む「バー秀香」に側近たちを引き連れて繰り出していたことからわかるように、単純な烏山は部下の忠誠心を、自分と一緒に行動するかどうかで見極める。松野は烏山が「バー秀香」に繰り出すときも、同期の谷のように「皆勤賞」とはいえず、薄々「烏山に疎まれているのではないか」と感じ始めていた。それに、烏山の大好きな海外出張にもあまり同行しないとなれば、不興を買うのは間違いなかった。
「大ルーブル展」の調印式は開催の1年前、今から10年前の2月下旬だった。谷の進言で、烏山に同行したのは、責任者の松野と、通訳を務める社長室職員の香也子だけだった。出張が決まった時、松野は「調印式に同行しなければならないなら、『大ルーブル展』を共同で担当する文化事業局長と国際事業局長も同行させ、烏山の面倒をみさせたい」と思っていた。「谷の奴、余計なことをしやがる」と、内心舌打ちする気持ちだったが、それが松野の「長年の夢」を実現する結果になろうとは想像だにしない出来事だった。
●海外出張中に愛人関係を結ぶ
しばらく天井を見上げ、記憶の糸を辿っていた松野が口を開いた。
「ルーブル美術館は日本人が大好きだからね。成功するのはわかっていた。あの頃は、できれば調印式に行きたくなかったんだよ。でも、今は行ってよかったと思っている」
香也子は瞑っていた目を見開き、いたずらぽく笑った。
「どうして?」
「そんなこと、決まっているじゃないか」
「どう決まっているの?」
「言わなくたって、わかるでしょ」
松野は抱き寄せた香也子にまたキスしようとした。今度は拒まなかったが、セーターの下から胸に手を入れようとすると、松野の手を押さえた。
「ねえ、パパ。どう決まっているの? 答えてよ」
「どうしても言わせたいの。しょうがないな。君と一緒だったからよ」
「でも、何で調印式に私を連れていったの?」
「そりゃ、君が社長室の職員で英語ができるからさ」
「英語ができるのが理由なら洞口さんがいるじゃないの。噂にもなったでしょ」
「香也ちゃん、何を言うの。僕は洞口君の親父さんに世話になっているんだよ。そんなこと、できるわけないでしょ。それは知っているじゃないの」
「そんなにむきにならないで。でも、英語ができるのが理由というなら、私である必要ないじゃないの、という意味よ。パパは最初から下心があったんでしょ」
香也子はくすくす笑った。
「違う、違う。君を入社させた太井君とは違うよ」
松野は少し身仕舞いを正し、続けた。
「僕は恐妻家だよ。純粋に、傷心気味の香也ちゃんにパリの高級ホテルを満喫してもらって慰めようと思っただけなんだ」
「『ホテル・リッツ』、すごくいいホテルだったわね。それに、レストランも…」
リッツのレストラン「レスパドン」はミシュラン星付きだ。1997年8月31日に恋人の大富豪のドディ・アルファイドとともにパパラッチに追跡され、パリ市内のトンネル内で交通事故死したダイアナ妃が最後の食事をしたレストランとして有名だ。
香也子は松野の肩に頭を寄せ、思い出にふけるように続けた。