ウソやごまかしの果てに…江川紹子が指摘する「共謀罪法案成立後に残された3つの論点」
また、衆議院の段階で、与党と維新との修正協議において、取り調べなどの犯罪捜査に関して、「その適正の確保に十分に配慮しなければならない」との文言が入った。
ただ、これでは国民の人権とのかねあいで内容が不十分なうえ、公安警察などによる情報収集活動が恣意的に行われる懸念を払拭できない。
たとえば、暴力主義的破壊活動を行った団体に対する調査や規制を定めた破壊活動防止法には、次のような規定がある。
(この法律の解釈適用)
第二条 この法律は、国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから、公共の安全の確保のために必要な最小限度においてのみ適用すべきであつて、いやしくもこれを拡張して解釈するようなことがあつてはならない。
(規制の基準)
第三条 この法律による規制及び規制のための調査は、第一条に規定する目的を達成するために必要な最小限度においてのみ行うべきであつて、いやしくも権限を逸脱して、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあつてはならない。
2 この法律による規制及び規制のための調査については、いやしくもこれを濫用し、労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあつてはならない。
運用次第で内心の自由が侵される可能性があるとの指摘がある共謀罪に関しても、このように「国民の自由と権利」を不当に制限しないような規定を書き加える改正を検討したらどうか。
「国民の知る権利」を守るために
最後に(3)。
テロ防止や社会の安全・安心を望まない人はいない。その一方で、国民の人権がないがしろにされ、過剰な監視や言論表現の萎縮を招く社会は避けたいというのが、大方の人の思いだろう。捜査機関の権限を強化すれば、国民の人権に対する負の影響は避けられない。この両者のバランスをどうとっていくかが、思案や議論のしどころだ。
ただ世論の賛同を得るために「テロ等準備罪」なる名称をつけ、「テロ対策に不可欠」とアドバルーンを上げてはみたものの、今回の法律は実際の「テロ対策」にはそれほど役に立たないだろう。
実際に活用できる場合として考えられるのは、<1>仲間割れした者からの情報提供(いわゆる「たれ込み」)がある、<2>警察が捜査中に別の新たな事件を準備していたことが発覚した――という2つのパターンくらいだ。
そのため、捜査機関サイドに立った、この法律の「使いにくさ」、テロ対策としての「生ぬるさ」が指摘され、市民に対する監視を強める方向で法律を“強化”していこうという言説が、早くも語られ始めている。
たとえば、共謀罪が可決した6月15日付の産経新聞記事は、共謀罪の捜査で警察が電話やメールなどの通信傍受が認められないことを挙げて、次のように書いている。
「(テロ等準備罪は)通信傍受の対象犯罪ともされず、(テロの)未然防止という点では実効性に疑問符が付く。捜査と人権のバランスを考慮しつつ、諸外国のような令状なしの通信傍受の在り方についても、議論を始めるときに来ている」
たしかに、裁判所の令状なしに捜査機関が通信傍受することが認められている国もある。しかし、捜査と人権のバランスは、さまざまな法律や制度の組み合わせで決まる。とりわけ、国民の知る権利がどれだけ保たれているかは、重要なファクターだ。