猪木が抱えた佐川急便からの借金のうち17億円がチャラになるきっかけとなったのが、91年2月の東京都知事選出馬断念だ。当時の都知事・鈴木俊一は4選出馬を表明。しかし、公明党が当時80歳の鈴木の推薦に難色を示したため、小沢一郎自民党幹事長は4選をめざす鈴木を推薦せず、元NHK記者の磯村尚徳を擁立する。こうした不透明な動きに猪木が出馬を表明(2月7日)。しかし1カ月後の3月12日には突如として、出馬断念を発表した。
出馬断念の理由は後日明らかになる。3月4日、東京佐川急便の渡辺広康社長の宴席で金丸信、小沢一郎、猪木の4者会談が行われており、その場で借金がチャラになる代わりに出馬断念が決まったのだ(結局、鈴木氏が4選を果たすことになる)。
「佐川会長とすれば、これで、金丸・小沢ラインに貸しをつくることができる。赤字会社の一つくらい抱え込むのはなんてこともなかったのでしょう。(略)猪木議員が都知事選を降りた代償として債務免除または放棄を約束したのだとしたら、重大な違法行為のはずです」(同書より引用)
このほか、女性議員秘書の告発本では、約2億3000万円にも上る所得税の滞納。世田谷区にも住民税が5000万円の滞納。相次ぐ差し押さえを受けた事実を明らかにしている。「税金も払わず、借金も払わず、都知事選すら裏取引の道具にする」ダークな猪木の姿がここにあった。
なお、その後、95年にスポーツ平和党の新間寿幹事長も猪木を告発。カンボジア視察旅行での買春疑惑「アントニオ猪木の夜のPKO」発言を行ない話題を集めた。「夜のPKO」が決まり手となって猪木は再選が果たせなかったが、こうしたスキャンダラスさが、従軍慰安婦をめぐる発言でイメージダウンさせている日本維新の会と共鳴してしまったのかもしれない。
(文=編集部)