4月30日で旗揚げから1年を迎える任侠山口組。これまで2度の記者会見を開き、2度目の記者会見では、神戸山口組、なかでも四代目山健組のトップでもある井上邦雄組長ら一部の最高幹部を猛烈に批判した。そして四代目山健組の対応次第では、3度目の記者会見を開く用意があることを示唆して会見を終わらせた【参考記事:任侠山口組が井上組長を痛烈批判】。
そして、落とされた撃鉄。
筆者は早い段階で、任侠山口組の偽装離脱、つまり同団体の実態は神戸山口組の別働隊にすぎないという見方を否定していた。それでも、9月12日に神戸市長田区で任侠山口組の織田絆誠代表が、神戸山口組系元組員から襲撃を受けるという事件が起きるまで、偽装離脱説をどこかで捨て切れていなかった【参考記事:山口組抗争…ついに死者も】。
それは筆者だけではなく、慎重に捜査を進めていた警察当局も同様だった。それまでは、任侠山口組はあくまで神戸山口組内の組織にすぎないという認識でいたが、死者まで出した織田代表襲撃事件が最終的な決め手となり、当局も任侠山口組を単独団体として指定暴力団体認定に向けて動き出したのである。
筆者が偽装離脱説を捨てきれずにいたのには理由があった。それは、織田代表らによる神戸山口組からの離脱が決定的となった4月28日より、さらに前の4月頭。「どうも織田若頭代行(当時)が、神戸山口組を脱退して新しい団体を立ち上げるらしい」との情報が業界関係者の間で飛び交ったためだ。筆者は早々に、確かな筋からの話をリアルタイムでキャッチしており、離脱は確定的と判断していた。
だが、その後に続く話が、筆者の判断を鈍らせることになった。
「ここから流れる情報はすべて、偽装離脱を悟られないために徹底した神戸山口組批判が織田氏サイドから流される。いよいよ対六代目山口組に向けた本抗争が開始される。そうなった時に井上の親分に累が及ばないようにするためだ」
この噂は瞬く間に広まるも、4月8日の時点では沈静化され、4月10日に開催された神戸山口組の定例会に織田若頭代行が出席したことで、離脱説自体が真っ向から否定された。
だが筆者はちょうどその頃、週刊誌「アサヒ芸能」(徳間書店)から受けたインタビュー取材の最後にこのように話している。