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任侠山口組、誕生から1年…“脱反社”を掲げるもトラブル多発、ついに指定暴力団へ

文=沖田臥竜/作家

 9月12日、神戸市長田区にある織田代表宅付近で、織田代表が乗る車両が神戸山口組系元組員に銃撃され、織田代表の警護役を務めた組員が射殺されたのだ。

 10月に入ると今度は、筆者の古巣ともなる大平組が、三代目大平組として復活。任侠山口組へと参画したのである【参考記事:任侠山口組に名門「大平組」が復活】。

 その後も任侠山口組は、矢継ぎ早に直参組長を誕生させていくのだが、一方で任侠山口組から去る組長や四代目山健組へと復帰する幹部も出ている。

 任侠山口組旗揚げ当初から本部長補佐を務めていた山健同志会・久保真一会長は、「コンプライアンス上、詳細は割愛する」として理由こそ明らかにされなかったが、任侠山口組から除籍された。任侠山口組で舎弟を務めていた牧野元義組長は、四代目山健組からの破門を解かれ、同組に復帰している。

 それでも任侠山口組は、「去る者追わず、来るもの拒まず」の姿勢を示し続けた。

“脱反社会勢力”を掲げるも当局は厳しく

 12月13日には古川組事務所で納会を開催。六代目山口組、神戸山口組と同じように任侠山口組でも平成30年度の組指針を発表。組指針は「実践躬行(信条に沿って実際に行動する)」であることが明らかとなった。

 年末年始になると公式的な行事は一切行わず、六代目山口組と神戸山口組とは運営方針が違うことをうかがわせたのであった。

 そして2月7日。大阪ミナミで神戸山口組内でのトラブルから、任侠山口組相談役・土倉太郎総裁が二代目兼一会組員らに暴行を受け、明けて8日には神戸山口組奥浦組から任侠山口組へと移籍した山下会の事務所へ、4トントラックが突っ込んだ。明らかに任侠山口組に対する他勢力からのプレッシャーが強まるなか、それでも同団体は直参組長を次々に誕生させ、勢力拡大の姿勢を見せつけていった。

 同月26日。兵庫県公安委員会が指定暴力団化に向けた暴力団対策法に基づく意見聴取の場を県警本部内に用意していたが、任侠山口組幹部らがその聴聞会に姿を見せることはなかった。

 これによって、3月22日に指定暴力団として官報に公示され、任侠山口組にも暴力団対策法によるさまざまな規制が適用されることとなる。

 任侠山口組は結成当初から現在の暴対法および暴力団排除条例が適用されないような運営方法を目指し、“脱反社会勢力”をスローガンに掲げ続けているといわれている。それは織田代表の強い理念のもとに掲げられたスローガンなのかもしれない。だが現時点で当局は、それを認めることはなかった。

 急ピッチで直参組長を誕生させ、SNSを駆使するなど、斬新な組織運営を取り入れ続ける任侠山口組。神戸山口組時代、織田代表は「いくさ上手」と言われ、いつも先手を打ち続けていた。今後、任侠山口組はどういった変貌を遂げていくのか。任侠山口組が結成されてから、まもなく1年を迎えようとしている。

(文=沖田臥竜/作家)

●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新小説『忘れな草』が発売中。

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