麻原の弁護側が行った“チキンゲーム”
森氏は寄稿で「東京高裁(須田賢裁判長)は、約束した期限の前日である3月27日に、いきなり控訴棄却を決定した」と書いている。この経緯はどうなのだろうか。
「まず、地裁判決の出た2004年2月27日、弁護側は即日控訴しています。東京高裁は、判決からおよそ10カ月後の05年1月11日を麻原の控訴趣意書の提出期限としました。だけど、弁護人の松井武さんらは接見ができず無理だとして、高裁は一度は伸ばしてあげているんです。同じ年の8月31日まで。延長する時は『意思疎通が図れずとも出す』と裁判所に言ってね。しかし、弁護人は、被告人との意思の疎通が図れないことを理由に、この期限でも出さなかった。その間に、高裁の裁判長らは麻原との接見に出向いて、意思疎通がとれると判断しました。
期限の8月31日に、松井さんらは控訴趣意書を持って行ったけれど、麻原は心神喪失の状態で訴訟能力がないという主張にこだわって、それを提出しないで持ち帰るという“チキンゲーム”を始めたんです。ここで提出していれば、なんの問題もなく2審は始まっていたんです。しかし、その後も、高裁が『期限を過ぎているから出さなきゃいけない、事態は極めて深刻』と言っているのに、松井さんらはチキンゲームを続け、翌年3月21日には『3月28日に出す』とファックスした。でも、裁判所は、先の8月31日の状況もあって、真実28日に出すかどうか怪しい所だと見て、27日に棄却したのでしょう。
森氏はそれを“約束”という言い方をしているけれど、松井さんらがその日にちを設定しただけで、約束にはなっていません。その間に、高裁は独自に精神鑑定を実施し、麻原には訴訟能力があるという鑑定結果を06年3月に得たわけです。刑事訴訟法386条には『期間内に控訴趣意書を差し出さないときは、決定で棄却しなければならない』とあるんです。それに従って高裁が控訴棄却の決定をしたのが、松井さんらが設定した日の前日の3月27日だったということです。
このチキンゲームは、弁護士会でも弁護過誤だと確定しています。第二東京弁護士会は松井さんに業務停止1カ月の懲戒処分を出しました。日弁連の処分は戒告になりましたが、懲戒委員会で弁護過誤と確定したんです。提出期限の順守は弁護人としての基本的な職務ですから、当然のことです。私だって、がっくりきましたよ。高裁、最高裁までやってほしかった。訴訟能力を争いたいのならば、控訴審の審理を始めたうえで争えば良かったんです。弁護人は被告人の包括代理権者ですからそんな先例もある。森氏は裁判所に責任があるように言っているけど、弁護人のチキンゲームで一審だけで終わってしまったんですよ。麻原の判決確定後、私こそが最初に、この2人の懲戒請求を出したんです」
一審の第13回公判について、森氏は江川氏に反論している。この公判の証人は、井上嘉浩であった。麻原は冒頭から裁判長に対して、「今日、証人のアーナンダ嘉浩は、 元、私の弟子です。彼は完全な成就者で、マハームドラーの成就者です。この件につきましては、すべて私が背負うことにします。ですから今日の証人を中止していただきたい。 これは被告人の権利です!」(『オウム裁判傍笑記』より)と叫んで、尋問の中止を要求した。
第9回公判の主尋問で井上はリムジン車内での麻原の指示について語っており、それ以上、井上に喋らせたくなかったというのが、江川氏の理解だ。それに対して森氏は、「第13回公判については、事実関係はまったく逆だ。井上証人への弁護人反対尋問とは、その前に井上が証言したリムジン謀議に対しての、麻原弁護団による反対尋問だった。つまり麻原にとって、尋問の中止を要求することの利はまったくない。むしろ自分の立場がより不利になるのだ」と書いている。
「弁護側の反対尋問だからって、弁護側に有利になるとは限りません。反対尋問って難しいんですよ。弁護側の反対尋問で、主尋問をより補強してしまうことも、ままあるものでね。反対尋問は自分の権利なんだから、自分が止められると麻原は思ったんですね。実際には、弁護側が独自に反対尋問する権利があるんだけど、麻原はそれは自分の権利なんだから、自分が弁護人に命令できる、自分が言えば止められる思ったわけです。だけど止めることはできなくて、教組の指示を語る井上証言は変わらなかった。傍聴もしていないのに、森氏はよく言いますね。傍聴していなくても、いくつもの出版社から公判記録は出ているんだから読めばわかる。読んでもいないのか、読んでも無視しているのか、デマゴギーを流しているとしか言いようがないですね」(滝本氏)