太陽の塔はカラスだった!岡本太郎とカラスの関係を探りに“カラス不毛の地”大阪潜入記
いよいよ、ねぐら入りが始まる!
息を切らせて、万博記念公園駅にたどり着く。渋滞がはげしい高速道路と、巨大な森のコントラストが印象的だ。
公園手前の地図で確認。中村先生のオススメは温泉施設のある西側のゾーンである。
入園料を払って門をくぐると、ハシボソガラスが太陽の塔の脇をガーガーと鳴きながら飛んでいく。太陽の塔も、夕日に顔をギラつかせてヤル気充分だ。(なんのヤル気だ)
何を隠そう、生みの親の岡本太郎氏は無類のカラス好き。カラスと一緒に暮らしていたことでも知られている。
岡本敏子著『太郎さんとカラス』(アートン)には、太郎さんについて書かれたこんな一節があった。
――あるとき、誰かが太陽の塔の話をしていて、
「どうしてあんなものを思いつかれたんですか」
と聞いた。彼は、
「太陽の塔? あれはカラスだよ」
「えっ?」
説明はしていなかったが。
(『太郎さんとカラス』「序文――岡本敏子」より)
いわれてみれば、塔からにょっきり生えている2本の腕(?)は、翼を広げてエサをねだるカラスのヒナと重ならなくもない。
同書の中で太郎さんは、人間に媚びるような愛玩動物を飼うのは好きではないが、カラスは違ったとも書いている。
――時に、猛然と嘴をふるって、アッと声をたてるほど強烈にかむ。フト生物同士の苛酷な闘争の気配がよみがえってくる。だがまたなにか血のかよいあった思い、共感がある。(『太郎さんとカラス』「暗い鳥」より)
孤高の表現者は、カラスの中に自分の姿を見たんじゃないだろうか。そんな太郎さんを慕って、今日もまたカラスがやってくる。
閉園時間が迫っている。人間が去っていくのと反比例して、カラスが樹上に集まり増えていく。昼は人間、夜はカラスの時間だ。
闇に飲み込まれていく公園を、西へ西へと歩く。気の早い奴らは、芝生の端の樹に集まって追いかけっこを繰り返していた。このあたりが、ねぐら入り前の集合場所ということか。集団下校の前に、元気がありあまってじゃれ合っている小学生みたいだなぁ。
ワーワーワーワー。林の木々にたくさんのカラスで鈴なりになって、鳴き声のピッチも速く慌ただしくなった。ふと一羽が飛び立つと、追随するように周囲のカラスも空に舞い、群になって頭上を旋回する。
このままねぐらに移動するのかと思いきや――、一周してまた元の枝に着地。え、じゃあ今はなんのために飛んだの? 寒いから体温上げるため? それとも、仲間じゃないヤツをふるいにかけるための演習とか?
ミステリアスな謎を残したまま、同じような旋回を何度も繰り返すカラスの群れ。
黙って眺めていると、意味なんてわからなくても美しい。どこか宗教的な儀式にも思えてくる。
太郎さんだけじゃなく、長詩『大鴉』を書いたエドガー・アラン・ポー、日本画の鬼才である河鍋暁斎たちも、カラスのこんな姿から創作のインスピレーションを受けたのかもしれない。
儀式めいた集団は、6〜7羽の小さな小隊に分かれ、まるで闇に溶けていくように、別々のねぐらに帰っていった。おやすみカラス、また明日。
(文・写真=吉野かぁこ)吉野かぁこ(よしの・かぁこ)
カラス恐怖症だったはずが、ひょんなことからカラス愛好家の道を突き進むことに。カラス愛好家のための「カラス友の会」主宰。カラス雑誌「CROW’S(クロース)」発行人。広がれ、カラ友の輪!<twitter:@osakequeen>