2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公は、江戸幕府を開いた戦国武将・徳川家康だ。
織田信長や豊臣秀吉と比べると、地味で老獪な狸親父のイメージが強い家康だが、学問にも熱心で多趣味な教養人でもあった。そして、天下人として約260年続いた江戸幕府を開いている。
天下を取るまでに、生命を失いかねない数々の苦難を何度も突破してきた家康はどんな生涯を送ったのか。
『家康クライシス 天下人の危機回避術』(濱田浩一郎著、ワニブックス刊)では、歴史家・作家・評論家の著者が、最新研究を踏まえて家康の生涯と危機を脱してきた戦略を紹介している。
家康の「人質時代」は賑やかだった?
家康は幼い頃に織田氏や今川氏の人質となり、苦労したという逸話は有名だ。
2年間の織田での人質生活を終えた竹千代(後の家康)は、今川の本拠・駿河へ移り、華陽院によって養育されることになり、手習などを教わった。竹千代に従って駿河まで来た酒井正親、内藤正次、天野康景などの松平家臣もいたので、それなりに賑やかな駿河での生活を送っていたことがうかがえる。
家康の人質時代というと「独りぼっちで寂しく」とドラマなどで描かれがちだが、実はそうではなかった可能性が高いのだ。
また、竹千代は今川義元から邪険に扱われていたわけではない。一説によると、今川義元の右腕である禅僧・太原雪斎が竹千代の学問の師匠となったという。人質生活と聞くと暗いイメージがあるが、恵まれていたと言える。
これは、人質を迎え入れる側の意図や長期的戦略もあってのことでもある。慈愛をもって人質に接することにより、その人質が後にそのことを恩義に感じ、忠節を尽くしてくれることを期待する思いもあるという。
1555年3月、竹千代は元服し、次郎三郎元信を名乗る。そして、1557年正月、元信は関口義弘の娘と結婚する。後に築山殿と呼ばれることになる女性と結ばれた。関口氏は今川氏の重臣であり、今川一門でもあった。このことから、松平元信もこの婚姻によって今川一門に准じる立場となり、これもかなりの厚遇と言えるのだ。
◇
人質時代からその生涯を描いた本書。「家康三大危機」と呼ばれる三河一向一揆、武田信玄との三方ヶ原の合戦、本能寺の変直後の伊賀超えをどのように乗り切ったかなど、家康の危機対応力を読むことができる。
どうして家康は天下を取ることができたのか。その理由を本書から読み解くことができるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。