“新聞業界のドン”動く!堕落の巣窟となった巨大新聞社、悪の元凶追放への秘策とは?
「わしがやりよる以上、失敗は許されんのじゃ。実はな、わしの東大の同期に東亜文芸社の二代目オーナーがおってのう、奴に頼んだんじゃ。『深層キャッチ』だけじゃのうて、週刊誌の『週刊真相』でも取り上げよる可能性があるじゃ」
『深層キャッチ』も『週刊真相』も発行元は東亜文芸社である。
東亜文芸社は大衆文学の小説がメインの出版社だったが、戦後、ノンフィクションなど幅広い分野に手を広げ、今は出版業界で1、2位を争う最大手の出版社だ。「深層キャッチ」も「週刊真相」もそのジャンルで最大部数を誇っている。
「会長、東亜文芸社の二代目オーナーはもう過去の人ですよ。今の『深層キャッチ』や『週刊真相』の編集長は二代目の言うことなんて聞きませんよ。もし、言うことを聞くとしても、今の社長の三代目ですが、それだって、覚束(おぼつか)ない。大体、雑誌の編集長は新聞社と違って絶大な権限を与えられているんです。国民新聞社の編集局長に言うことを聞かせるのとは違います」
深井との掛け合いを聞いていた吉須が開口すると、太郎丸が切り返した。
「お主のう、釈迦に説法というもんじゃ。雑誌と新聞の違いなど、お主らより、わしの方がよう知っちょっる。大体、三代目社長もわしに足を向けて寝られる立場にないんじゃぞ。大学を出て10年くらいうちの出版で修業しちょったんじゃ」
東亜文芸社は大正時代に一世を風靡(ふうび)した流行作家の野尻伸が創業した出版社だ。伸は文才だけでなく、実業家としての才覚も抜群だった。大衆文学のヒット作を連発する一方で、小学生向けの雑誌や漫画雑誌を発刊、これでも大成功した。
そして、戦後、東亜文芸社を最大手の総合出版社に育て上げたのが昭和40年代初めに二代目社長に就任した伸の長男、安信だった。その安信は10年前、東亜文芸社の一切合財を三代目社長に就いた息子の一信に任せ、完全に引退した。
しかも、現在の『深層キャッチ』や『週刊真相』の編集長は三代目社長の一信の子飼いだった。一信は専務時代から雑誌部門をまかされていたからで、吉須が二代目の安信を「過去の人」というのももっともな面があった。
しかし、太郎丸には三代目の一信とも浅からぬ縁があった。「息子に他人の飯を食わせたい」という父親の安信の依頼で、一信を国民新聞社に情実入社させていた。一信は国民新聞社出版局に10年間在籍し、東亜文芸社に役員で戻ったのだが、太郎丸は安信と飲むとき、安信が息子の一信を連れてくることもあった。
それでも、吉須は簡単に引き下がらなかった。
「でも、写真を載せるって、どんな写真ですか。“路チュー”写真でもあるんですか?」
吉須が指摘すると、深井も合いの手を入れた。
「そう。写真って、本当にどんな写真ですか。松野も村尾も“路チュー”なんてしないでしょう。それだと、写真があっても、しらばっくれられたら大した効果はないでしょう」
「“路チュー”写真なんぞないわな。じゃがな、二人の不倫の現場を特定しちょるから、しらばっくれるなんてできんわな。心配せんでええわ」
太郎丸は自信満々に言い放った。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
【ご参考:第1部のあらすじ】業界第1位の大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に合併を持ちかけ、基本合意した。二人は両社の取締役編集局長、北川常夫(大都)、小山成雄(日亜)に詳細を詰めさせ、発表する段取りを決めた。1年後には断トツの部数トップの巨大新聞社が誕生するのは間違いないところになったわけだが、唯一の気がかり材料は“業界のドン”、太郎丸嘉一が君臨する業界第2位の国民新聞社の反撃だった。合併を目論む大都、日亜両社はジャーナリズムとは無縁な、堕落しきった連中が経営も編集も牛耳っており、御多分に洩れず、松野、村尾、北川、小山の4人ともスキャンダルを抱え、脛に傷持つ身だった。その秘密に一抹の不安があった。
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週1月10日(金)掲載予定です。