●集団的自衛権行使容認の前にやるべきこと
アメリカが仕掛けた戦争によって、サダム・フセインという重しが取り除かれると、それまでの不満を一気に解消するかのように、シーア派が政治的権限と石油などの利権を握り、人々の生活を支配した。キリスト教徒や少数民族は迫害され、多くが国を出ざるをえなくなった。そして、海外からは過激派も流れ込んだ。その揚げ句が、今の状況である。アメリカは、大量破壊兵器の存在を見誤っただけでなく、フセインを排除したらどうなるか、という将来の展望を明らかに間違えた。
イラクの人々にとって、フセイン時代より今の方が幸せと言えるのだろうか。豊かになった者はいるだろう。だが、外国の軍隊が力ずくで政権を崩壊させたことで、新たな(かつ悲劇的な)混乱と犠牲を招いたことは事実だ。アメリカやそれに追随した国々は、大義なき戦争によって、“パンドラの箱”を開けてしまったのだ。
それでも、アメリカは上院の公聴会などで、戦争前のイラクには生物兵器や化学兵器など大量破壊兵器の備蓄などはなかったことなどを認めたため、戦争の大義がなかったことは明らかになった。また、イギリスの検証公聴会では元首相にも証言をさせた。
しかし、日本は何もしていない。開戦当時の小泉純一郎首相は、いち早くアメリカの攻撃を支持しただけでなく、イラク特措法を成立させて、自衛隊を派遣した。航空自衛隊には、武装した米兵をイラクに運ぶ活動に従事させた。兵站機能を担うことで、日本もこの戦争に参加したのだ。これについて、いまだ何の検証も反省もしていない。
そんな状況下で、アメリカが行う戦争に、さらに積極的に参加できるよう、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈が実行されようとしている。イラク特措法では、自衛隊の活動は「非戦闘地域」に限定され、武力による威嚇や武力の行使は禁じられていた。ところが、この縛りも曖昧になろうとしている。
9.11同時多発テロの直後に始まったアフガン戦争では、輸送や治安維持などの後方支援に当たったNATO21カ国が1031人もの死者を出していることも忘れてはならないだろう。
次の戦争に参加する準備を急ぐ前に、まずは過去の失敗や事例を検証し、そこから教訓を学ぶことが先ではないか。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)