しかし、MBAのような専門職大学院という課程では、博士を持っていなくても、ある分野のプロフェッショナルであれば迎えられる。当該大学院の教員欄を見てみると、一流大学の学部を出て大企業や官庁、コンサルタント会社などに勤め、海外の有名大学院へ留学した人が必ずいることに気づく。意外と彼らの中には、修士(海外大学院MBA)だけで博士を持っていない人が少なくない。博士の学位はなくても、「実学」と思われる理屈をわかりやすく教えてくれるから、高学歴・エリート信仰、フレームワーク思考の社会人学生の間では評価が高い傾向にある。アカデミックな作法に従わないと許さない「学術原理主義」の教授よりは、社会人学生との親和性が高いといえよう。
大学院、大学(学部)の別を問わず、受講生を対象に行う講義アンケートでは、「おもしろい講義」は「良い評価」が得られるかもしれないが、大学として本来の奥深い教育が行えたかという点においては疑問が残る。結果的に、大切なものを失っていないだろうか。決しておもしろくない講義を行えばよいといっているわけではなく、何気なく使われている「楽しい」という形容詞を深く考えなくてはならない。これは、前出の「なぜ、……は……か?」に対する反証である。
現在の大学生、はたまたその両親までも、「楽しい」=「エンターテインメント」としてとらえている。しかし、日本語の「楽しい」とはそのようなものではなく、多様な経験や学びを重ねたからこそわかる「大人の味」である。マナーやフレームワークを教えただけでは、この深い味がわかるようになるとは考えられない。
●ビジネス・リベラルアーツ
そうならないためにも、大学が行う理想的な経営教育とは何かという問いに立ち戻り、再検討する必要がある。そこで、筆者はビジネスと連動した「ビジネス・リベラルアーツ」を提唱する。日本の大学は戦後、アメリカのリベラルアーツカレッジをモデルにして、「一般教養」教育を展開してきた。かつてこのような講義を受けたOB・OGは、「教養」と聞けばすなわち大教室で講義される浮世離れした机上の空論と思うかもしれない。
そうではなく、ビジネス・リベラルアーツは「食い扶持」をつくる、リーダーシップを発揮する、起業・経営を行う上で役立つ知的バックグラウンドである。これまでのビジネスと遊離したと思われる「一般教養」とは一線を画す。それらの中には、経営学の基礎理論、経営史、そして最近の経営情報だけでなく、ほとんどの企業が最も重視する能力として挙げているコミュニケーション能力、松下幸之助が社員に求める資質として尊重した愛嬌、そして大阪商人のビジネス・ツールとしても使われた笑い(ユーモア)など、実務家が長年にわたり構築してきた実践的叡智も含む。