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ベートーヴェンとモーツァルトの“身分”
ちなみに、ヨーロッパでは、外見の見せ方だけでなく、名前を見ただけで相手の印象が変わることがあります。たとえば、ドイツ圏の名前で、姓の前に「フォン」と付けば、貴族出身であることを意味します。フランスの「ド」と同じですが、たとえば文豪・ゲーテの正式な名は「フォン・ゲーテ」で、平民ではないことがわかります。
ドイツのボンで、飲んだくれのしがない歌手を父親に持ち、決して裕福とはいえない庶民の家庭に生まれたベートーヴェン。青年時代から晩年に至るまで、啓蒙思想に憧れ「貴族も平民も同じ立場であり、みんなで一緒に歩むべきだ」と信じ続けていた彼ですが、実は、移り住んだオーストリア・ウィーンでは貴族階級の優遇措置を受けようと、「私の名前には『ファン』が付いていて、正式にはファン・ベートーヴェンです。だから、貴族階級の人間なのです」と、ハプスブルク帝国政府に訴えたのです。
これに対する政府の返事は、「ファン」はオランダでの名前に付けるものであり、ドイツの貴族階級につける「フォン」とは似て非なるものだと却下されてしまいます。ベートーヴェン一家がオランダ系の由来を持っているというだけだったわけですが、このやり取りを知った時に僕は、ベートーヴェンの人物像に対してイメージダウンを感じなかったといえば嘘になります。彼の音楽が素晴らしいことに変わりはありませんが、自身の最高傑作『第九』で「すべての人間は兄弟だ」と歌い上げていたにもかかわらず、陰で貴族の特権を得ようとしていたためです。日本で「人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言った福沢諭吉が、娘の結婚に対して「身分が違う」と大反対したのとよく似ています。
イメージダウンといえば、モーツァルトの話をしなくてはなりません。誰にも真似できない美しい音楽をつくるゆえに、「音楽の神につくられた作曲家」「神の子」などと神聖視されていたモーツァルトですが、そのイメージを大きく変えたのが、1984年に公開されアカデミー賞を総なめした映画『アマデウス』(オライオン・ピクチャーズ/松竹富士)です。貴族の家の晩餐会であっても、若い女性を追いかけ下品な笑い声を立てるモーツァルトの姿に、世界中のモーツァルトファンは驚き、落胆しました。
その一方で、生き生きとしたモーツァルトの人間らしさも知られることになり、同じモーツァルトの曲を聴いても、これまでとは違う印象を受けながら、新しい魅力に気づくきっかけとなりました。これは人間の思い込みが音楽鑑賞にも深くかかわっている証拠だと思います。
ちなみに、僕は海外でも指揮活動をしていますが、メインがチャイコフスキーであっても、ポスターには日本の桜のデザインがプリントされていたりすることがあります。僕は本場ロシアで演奏されているようなチャイコフスキー演奏を目指し、入念にリハーサルをしてコンサートを指揮するのですが、僕の知らないうちに“日本人指揮者”という外壁をかぶせられ、「今回のチャイコフスキーは、いつもと違います」と宣伝に使われているのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)