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三浦展「繁華街の昔を歩く」

新潟・越後高田、日本最古の映画館が、全国的に注目を浴び始めた理由

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1.日本最古の映画館


 現存する日本最古と言われる映画館が新潟県上越市にある。旧・高田市本町6丁目にある高田世界館だ。

 高田世界館は1911年 (明治44年) に芝居小屋として開業。5年後の1916年(大正5年)に「世界館」と改称、常設映画館となった。その後「高田東宝映画劇場」「高田セントラルシネマ」「松竹館」等と名称を変えつつ営業が続いた。国の登録有形文化財や近代化産業遺産にも指定されている。

 実は私はこの高田の出身なのだが、世界館には一度しか入った記憶がない。1969年ごろだろうか、『ミクロの決死圏』という有名なSF映画を母と兄と一緒に見に行ったのである。もしかするとゴジラ映画と併映だったかもしれない。

 その後は日活ロマンポルノの映画館になってしまったので、中学高校時代は入らなかったし、大学からは東京に出たので私の中では忘れられた存在だったのである。まして20世紀初頭につくられたなんてことは、まったく知らなかった。

世界館の内部

2.軍都と娯楽と劇場と


 そもそも高田は江戸時代は松平家60万石の城下町であり、江戸時代には横町(現在の本町2丁目あたり)に旅籠屋があり、遊女がいた。明治になってからは官許を得て貸座敷31軒からなる遊郭となった。1908年に陸軍第13師団が配置され高田は軍都となった。1910年、遊郭は高田の北部に移転させられた。当時娼妓数は146人だった。芸妓は明治初頭に東京や新潟から数名がやってきたが、次第に増え、日露戦争後(1914〜1919)は田端町(今の仲町3丁目)や横町に合計100名以上の芸妓がいたという。

 また田端町には1874年に大漁座という芝居小屋ができた。89年には料理屋と芸者置屋が共同で巨費を投じて大漁座を仲町の別の場所に新築移転。芝居を見たあとに料理を食べに来る客を見こんだものだった。さらに1907年には再び大劇場を新築して別の場所に移転したというから、軍都化による繁栄を当て込んだのだろう。

 呉服町(今の本町)には五福館、横町には共盛館、その他にも大惣という寄席ができた。共盛館と大惣は1900年に廃業したが、同年高盛館という寄席ができて、大漁座に次ぐ劇場として繁栄した。これがのちに映画館、高田シネマとなった。

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