
興奮調の舌鋒鋭い語り口で耳目を引いていたコラムニストの勝谷誠彦さんが11月28日、57歳で亡くなった。
現時点で正式な死因は公表されていないが、勝谷さんは8月21日に腹痛を訴えて緊急入院し、その際、自身の有料配信コラムの発行人から「劇症肝炎」との病名が明かされていた。
いわゆる、肝不全症状に見舞われる劇症肝炎。わが国の患者数は年間約400人と推定され、これは急性肝炎患者の約1%にすぎない稀少例だ。1カ月後の生存率は50%の重症だが、10月にラジオ出演を果たした勝谷さんには、完全復帰が期待されていた。
それにしても、希代の熱弁家が「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓に病を抱えていたのは皮肉な話だ。インターネット配信動画の勝谷誠彦『血気酒会』は、酒を飲みながらの収録も珍しくなく、8月の入院当初は「重症アルコール性肝炎」との診断報道もあったほどだ。
日々欠かさずに酒を飲み続けてきた勝谷さんの酒歴は、40年に上るといわれる。アルコール性肝臓病は、飲酒量が多ければ多いほど、飲酒期間も長ければ長いほど、起こりやすい。
波乱に富んだ職歴、ストレス過多で飲酒量増加か
独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センターの実態調査でも、アルコール依存症患者(10年以上にわたり毎日、日本酒5号以上の飲酒者が大半)における肝障害率は約80%と、高い割合に至る。
一方、アルコール性肝臓病の場合、自らの意思次第で予防/克服しうる点が、B型肝炎やC型肝炎との大きな違いだ。しかし、こよなく酒を愛する人々にとって、その意思貫徹がいかに難題であるか、10月のラジオ復帰での勝谷さんのコメントがそれを物語っている。
番組冒頭で「恥ずかしながら、帰ってまいりました」と帰還報告をした勝谷さんは、入院当初の黄疸のひどさに触れながら、こう振り返った。
「『横断歩道、みんなで渡れば怖くない』と言いますが、ボクの“黄疸歩道”は、ひとりで三途の川を渡ろうとして……。それはそれは、すごく怖かったですよ」
あらためて、勝谷さんの足跡をなぞると、栄光の道のりや華麗な職歴とは裏腹の激務ぶりや、それに伴うストレスの多さが他人事ながら読み取れる。
早稲田大学第一文学部を卒業した勝谷さんは、電通に入社したものの数カ月で退職。文藝春秋社の写真週刊誌記者から『週刊文春』に移ると、未成年加害者の実名&顔写真掲載でセンセーショナルな話題を呼んだコンクリート殺人事件などを担当した。その後、同社の廃刊案件をきっかけにフリーに転身した。
情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)に代表される辛口コメンテーターぶり(2006~15年)や、読売テレビ制作『たかじんのそこまで言って委員会』(現『そこまで言って委員会NP』)での番組批判による降板劇も記憶に残る。
そんな彼が大好きな飲酒同様、毎日欠かさず早朝5時から9時まで入魂執筆で取り組んでいた日課(ライフワーク)が、前出の有料配信コラム『勝谷誠彦の××な日々』だった。
「××」の部分は、「深酒」「毒舌」「泥酔」「鬱屈」などが入るのだろうか。事実、勝谷さんは15年、うつ病も発症していた。