AV出演強要問題と新制度設計…文筆家・森下くるみが出演作品の販売停止申請をしたワケ
今、AV業界が激動の時代を迎えていることをご存じだろうか? 2017年10月、AV業界の健全化を目的として「AV人権倫理機構」なる第三者機関が設立された。これは、2016年に被害相談の相次いだ、いわゆる「AV出演強要」が社会問題となったことを発端として、AV業界の主要なプレイヤーの合意のもと、2017年4月に発足した第三者委員会「AV業界改革推進有識者委員会」の後継組織として立ち上げられたものだ。
ここでいう「AV業界のプレイヤー」とは、メーカー、販売・配信業者、プロダクション、そして女優の4者。これまでAV業界は彼らを中心として、監督官庁すら持たないまま、ある種の自然発生的な秩序のなか、多くの問題をはらみつつなんとか運営されてきた。しかし、AV出演強要問題を契機として、AV業界に向けられる社会の目はかつてないほど厳しさを増した。
今、業界とは利害関係のない第三者機関の“お墨つき”のもと、社会に受け入れられるような業界運営のルールを策定して健全化を図らなければ、業界の未来はない――。AV業界のそうした強い危機意識を受けて発足したAV人権倫理機構が、各プレイヤーに対して協議やヒアリングなどを通じて直接働きかけつつ、業界の抜本的な制度改革を断行中なのだ。
そのAV人権倫理機構が改革の一環として生み出した、ひとつの大きな成果といえるのが、「作品販売等停止」という新ルールだ。これは、発売から5年以上経過したAV作品については、出演女優が要請すれば販売・配信を停止できるというもの。従来、作品の販売期間や二次利用について明確かつ妥当な規定のなかったAV業界においては、画期的といえるルールだ。
2018年2月に運用が開始された「作品販売等停止」の制度を利用し、しかもその事実を自ら公表して話題となった元AV女優がいる。1998年にデビュー、ロリータ系女優として業界トップクラスの人気を誇り、2008年に引退した森下くるみ氏だ。彼女の活躍した1990年代末から2000年代半ばといえば、インターネットの急速な普及によりAVの流通形態がDVD販売・レンタルからネット配信へと一気に転換した時期。引退前後から自伝的小説『すべては「裸になる」から始まって』(2007年、英知出版 ※2008年、講談社より再販)を上梓するなど、10年以上にわたり文筆家、役者としてマルチに活動してきた彼女こそ、まさにそうしたAV業界の激変期を象徴する存在ともいえよう。
一方、当サイトで「法“痴”国家ニッポン」を連載中の桐蔭横浜大学教授・河合幹雄氏は、学者や弁護士などの有識者で構成されるAV人権倫理機構の4人の理事のひとりとして、まさにこの「作品販売等停止」の制度を設計した人物。法社会学者としての知見を活かし、マンガ表現規制への反対運動などで知られる「ヤマベン」こと山口貴士弁護士らと共に、AV業界改革において中心的な役割を果たしてきた。
今回実現したのは、その河合氏と森下氏の直接対話だ。“制度を設計・運用する側”と“制度を利用する側”、いわば対極の立場にある両氏の間で、いったいどんな会話が交わされたのか? 今回は第2回目として、AV人権倫理機構が出演強要問題をどう分析し、どんな意図をもって新たな制度を設計したかなどについての議論を掲載する。
河合幹雄(かわい・みきお/写真右)
1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。
森下くるみ(もりした・くるみ/写真左)
1980年、秋田県生まれ。文筆家。1998年に18歳でAVデビュー、トップ女優として活躍後、2008年に引退。その後、文筆家として多方面で活躍。著作に『すべては『裸になる』から始まって』(講談社、2008年)、『らふ』(青志社、2010年)、『36 書く女×撮る男』(ポンプラボ、2016年)など。
【第1回『私の出演したAVは消せるのか?文筆家・森下くるみが語る「契約書もなかった現役時代」』はこちら】
【第3回『AVにおけるエンタメ性とは…文筆家・森下くるみと考える「健全化されたあとのAV業界」』はこちら】
AV女優へのヒアリングで気づいた、AV出演強要問題表面化の“背景”
河合幹雄 ご存じの通りAV人権倫理機構は、2016年に表面化したAV出演強要問題をきっかけとして設立されました。制度設計に当たってわれわれがまず必要だと考えたのは、この問題についてじっくり分析し、正しく理解すること。それで、女優さんへのヒアリングなどを重ねていったんです。
森下くるみ 私の周りには、そういったいわゆる出演強要の被害に遭った人がいないので、社会問題になってもあまりイメージできなかったところはあるんです。そもそも強要なんてしたら、その事務所の悪い噂が業界内で広まって、それこそが問題だろうと思ったのですが。
河合幹雄 自分たちで女優さんたちから聞き取り調査をした範囲では、メディアで騒がれたようなひどいケースは意外にも1件も確認できませんでした。ここでいうひどいケースとは、なかばだまされる形で現場まで連れてこられて、そこで激しく抗議したものの、撮影準備の整ったこの状況でキャンセルするのは無理だと脅され、泣く泣く出演してしまった、というようなものです。
一方で、募集段階ではAVプロダクションであることを説明していなかったとか、顔バレのリスクはほとんどないと説明していたとか、そういう不適切なやり方、広義の出演強要は間違いなく存在していました。ちなみに、メディアで報道された事件の被害者からも聞き取りをしたいと考え、人権団体に仲介をお願いしましたが、被害者の状況が悪く無理とのことでした。結局、非常に少数ながら、ひどい事件はあったのだと考えています。
森下くるみ 「嫌だ、やりたくない」と言う女優さんのほうが悪いのだからと責任をなすりつけて、従わざるを得ない形に持っていくようなケースも実際にあったわけですね。
河合幹雄 ただ、今のAV業界というのは、AV黎明期の1980年代などから見れば、これでもかなり健全化の進んだ状態なんですよ。なにしろ歴史的にいうと、1990年代になってようやく、メーカーやプロダクションがきちんと税金を納め始めた、というレベルですから。とすれば、出演強要のようなひどいことも、かつてのほうが今よりはるかにたくさん起きていたはずです。それなのになぜ、今になってそういう問題が表に出てきたのか。
その答えは、女優さんたちからいろいろと話を聞いてようやくわかった。実は、今この問題が表面化した背景には、AV流通のメインがDVDの販売・レンタルからネット配信へ移行した結果、いわゆる“身バレ”がかつてよりはるかに簡単に起きるようになったことが要因としてある、と気づいたんです。
ネット配信時代到来で急激に高まった、AV女優の「消してほしい願望」
AV女優は活動するにあたり、プロダクションと話し合い、どこまでの範囲のメディアで自分の出演作を宣伝広告するかという、「パブリシティ制限」を設ける。パブリシティ公開の範囲には、たとえばコンビニ誌の表紙掲載はOKだが地上波テレビ出演はNG、といったさまざまな段階がある。公開範囲を狭めれば身バレの可能性は低くなるが、当然、露出が減るため作品は売れにくくなるという仕組みだ。
そうした公開範囲については、メーカー・販売業者・メディアの担当者とプロダクションの間で随時個別に確認が取られ、一応は遵守されてきた。つまり、人と人とのつき合いでパブリシティの公開範囲をコントロールすることで、結果として一定程度は身バレしにくい環境を生み出すことができる。そして女優側も、それをある程度信用した上で作品に出演できるわけだ。
しかし、それはAV作品がVHSやDVDの販売・レンタルで流通していた2000年代初頭までの話。ネット配信が主流となったことで、そうした前提は一気に崩壊した。なぜなら、流通をほぼ独占しているFANZAをはじめとする販売・配信サイトにおいては、基本的に顔などにはモザイクのかけられていない1分程度のサンプル動画をアップすることが、なかば“常識”となってしまったからだ。
サンプル動画は、ユーザーにとって購買を決める上で最重要の判断材料となり、売り上げに直結するものとなった。そうなってしまうと、メーカーやプロダクションとしても、パブリシティ制限という概念自体が消滅したわけではないものの、サンプル動画の存在を黙認せざるを得ない。そのようになし崩し的に、ほとんどすべての女優の情報が、パブリシティ全開の状態でネット上にさらされるようになった。その結果、以前と比べてはるかに簡単に身バレするようになってしまったのである。
河合幹雄 ネット配信時代への移行によって、販売・配信サイトなどで女優名を検索すればすぐにサンプル動画が出てきて本人を特定でき、しかも動画は半永久的に消えない、という状況になった。女優さんたちにとって身バレという事態が、それまでとは比較にならないほど起こり得ることとしてにわかに浮上してきたわけです。
森下くるみ 私のデビュー当時はまだVHSの時代でしたが、テープというものが存在する以上、自分の作品が一定期間世の中に残り続けると自覚していました。それでも、VHSの時代に動画のダウンロードやストリーミングにまで想像が及ぶかといったら、とても無理な話です。今、インターネットの世界は、動画や画像が残るだけでなく、どこまでも拡散されていくという特性が極まっていますね。
河合幹雄 そういう状況にあっては当然、女優の引退後、あるいは引退を考えて新たな人生の第一歩を踏み出したいというとき、自分がAVに出演していたことを人に知られたくないので出演作を消したい、と切実に願う人が増えてくる。ところが、契約書にはたいてい「作品の権利はメーカーが永久に保持する」というようなことが書かれている。要するに女優には、「消してほしい」と訴え出る手段が全然ないわけです。
そういう状況下で前景化してきたのが、「出演強要」という別の問題だったのではないか。基本的に女優は、お金のために出演しているケースが多い。となると、現場でひどい扱いはされなかったにしても、女優時代についてどうしてもネガティブな感情を抱いているケースも少なくない。そんな女優が引退後、自分の出演作がえんえんとネット上で販売され続けていることを知る。いつ身バレするかわからない。あるいはすでに親しい人に身バレしてしまった。消してほしい。でもその手段がない。女優時代のことがますます嫌な思い出となって膨らんでくる。そうした中で、ある者はメディアに対し「無理やり出演させられた」として「出演強要」を訴え出る。このような構造があるのではないか、というわけです。
「本当は嫌だったのに無理やり出演させられた」と訴えれば、それが本当なら法的に完全にクロで事件になりますから、結果として出演作を消してもらえるかもしれない。もちろん先に述べたように、本当に出演を強要されたひどいケースは実在します。ただ、社会問題となるほどたくさんの女優さんから出演強要を訴える声が噴出したのは、ネット配信時代を背景とする「消してほしい」という女優さん側の願望が、それほど高まっていたからにほかならない。それこそが問題の本質ではないか、というふうに背景にある構造を理解できたんです。
森下くるみ なるほど……。「消してほしい」は、出演強要問題をきっかけにして発足したAV人権倫理機構とその制度設計をより深く理解するための重要なポイントなわけですね。
新たに整備された規則では、「出演者から出演作品の販売等に関する問い合わせ等があった際には、それが正当な理由である場合には、メーカー、流通、配信、CSの責任者は、誠実に対応するものとする」とされ、出演女優が希望すれば販売開始後5年で販売・配信を停止できるようになった。また作品の二次利用についても、「別途定める方法で出演者に二次利用に関する報酬を支払うものとする」と定められた。AV人権倫理機構が「消してほしい問題」こそ出演強要問題の“本丸”であると見定め、そこを改革の肝として大鉈を振るった格好だ。
河合幹雄 われわれは出演強要問題について先に述べたような分析を踏まえて、なるべく実効性のあるシステムを策定してきたつもりです。その根幹にあるのが、ルールに違反すれば適正AVの認定を失い、FANZAなどの大手販売・配信サイトから作品を排除される、つまり実質的に作品を売ることができなくなる、という取り決めです。当初はもちろん業界各所から反発もありましたが、最終的にその点について業界の各プレイヤーと合意できたからこそ、海千山千のAV業界において、曲がりなりにもルールの実効性を担保できている。元女優という立場から、森下さんは現状のそういうシステムについてどんなことを感じていますか?
森下くるみ ちゃんと契約書が交わされて、二次利用料も支払われるようになった。販売・配信の停止についても自分の希望が通るようになった。感想レベルですが、女優にとってはそれだけでも本当にありがたいことだと思います。ただ、それまでルールやシステムに関しては、“暗黙の了解”といった曖昧なものをベースとしてやってきた業界なので、メーカーや制作現場のスタッフはいろいろと大変だと思いますけど、新しい制度を受け入れ、慣れていくしかないのかな、と。
同時に、AV業界もこれでようやく、本当の意味でビジネスとしてスタートできるのかな、という思いもありますね。今までAV業界は“裏社会”だとか、社会とまるで接点のないもののように言われてきたし、そういうマイナスイメージゆえに、AV女優もひとつの仕事としては世間に認められにくかったので。
内密にしなければ意味がない停止申請 あえて公表した理由とは?
河合幹雄 女優さんからAV人権倫理機構に提出された作品販売等停止申請書の「販売等停止を希望する理由」という項目を見ると、やはり「婚約、結婚のため」「就職、転職のため」など、「身バレしたくない」という理由から申請を決めた人が多い。とすると本来なら、消すのも密かにやらないと意味がありません。ところが森下さんは、停止申請した事実を自ら公表された。その意味では非常に稀有な存在です。当事者が進んで情報を発信してくれるというのは、制度設計したわれわれにとってはありがたいことですが、どういう思いから公表に踏み切ったんですか?
森下くるみ ひとつは、第1回でもいったように、私が販売・配信停止を申請した一番の理由は、「無断で繰り返される二次利用への憤り」、そして「販売期間に制限がないことへの疑問」だということ。出演強要問題の根幹にあるような「作品を消してほしい」といった切実な思いとは少し意味が違うんですね。だから公表すること自体には抵抗はありませんでした。
ただ、こういう制度ができたこと自体を知らない方がまだまだ多い気がします。だから私は純粋に、ようやくAV業界にも健全かつ正式なルールが整備されたことを伝えたかった。元女優の中にも、申請に時間がかかるんじゃないか、面倒なんじゃないかといったイメージを持っている方がいれば、正確な情報をつかんで欲しかったんです。
それともうひとつ、私の場合は引退後も同じ名前で活動しているわけですから、作品販売等停止申請のことを仮に黙っていても、「あれ? メーカー・配信サイトから森下くるみの作品が全部消えてるけど、何かあったの?」といつか誰かが気づいて臆測が生じる可能性が高い。それなら自分から理由や心情を詳しく説明しておいたほうがいいだろうと思ったんです。
河合幹雄 「note」に書かれた森下さんの文章からもそんな印象を受けました。面倒なことになるぐらいなら先手を打つという、危機管理における模範的なやり方ですね(笑)。
森下くるみ 販売・配信停止を申請すること自体は、悪いことでもなんでもないはずです。なのに、あまり肯定的でない人もいます。「自己責任で出演したのに、自分だけの都合で消すなんて勝手だ」「結局金目当てだろう。販売・配信停止を申請するならギャラを返上しろ」みたいな。そういう誤解や疑念に対しての説明は、今後も必要になってくるのではないかと思っています。
河合幹雄 それは批判というより完全に難癖ですね。最近はやりの“自己責任論”もタチが悪い。本来の自己責任論は、おのれがおのれを厳しく律するためのものであって、「自分のやったことはすべて自分の責任だ」などと他者への不寛容を主張するものなどではない。近代政治思想の創始者ともいえるジャン=ジャック・ルソーが『エミール』などの教育論のなかで言っています。やはり創始者というのは偉大ですね(笑)。それで、周りの女優さんやAV業界の方からの反応はどうでしたか?
森下くるみ 今のところ元女優さんからはあまりないんですけど、「発言してくれてよかった」といってくれた現役女優さんは何人かいますね。AV女優の権利については皆、何かしらの考えをお持ちなので、販売等停止申請の件についても関心は高いんです。
河合幹雄 そうですか。申請の件数は確実に増えていますけどね。森下さんがSNSなどを通じて販売・配信停止を申請したことを表明し、「手続きしたら本当に消えたよ 」と書いてくださったことは、われわれにとって本当に大きかったんです。
というのはどんな改革でも、それを設計・運用する側からのアナウンスなんておおよそ信用できないものだからです。権力側はしばしば、なんらかの制度改革を行ったとき、人々に対して「こんなすばらしいことをやったぞ」と喧伝します。ところがその実、人々がその新制度のメリットを享受しようとすると、実はすさまじく手間ひまがかかって事実上とてもじゃないがその制度を利用できなかったりする。結局、改革なんてしていないに等しい――というのが、古代ローマ時代から続く権力側の常套手段なんです。
その意味で、実際に申請した元女優さん自らが情報を発信されたということには非常に大きな意味がある。実際、森下さんの公表直後、同時代に活躍した方を中心とする20人以上の元女優さんが販売・配信停止を申請しています。明らかに“森下くるみ効果”だと思いますね。
今回の両氏の対話は、社会問題の本質を見極めて実効性のある制度を設計することがいかに困難か、という現実を改めて浮き彫りにした。全3回の最後となる次回は、AV作品とAV業界の今後あるべき姿について、両氏それぞれの立場から語っていただくとしよう。
(構成=松島 拡)