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【新型コロナ】金を出し渋る安倍政権に「補償なき自粛」を強いられる日本国民

文=藤野光太郎/ジャーナリスト
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専門家会議委員の西浦博・北海道大学教授(ZUMA Press/アフロ)

厚労省クラスター対策班が「(対策次第で)国内の死者40万人」と予測

 前回の記事冒頭で、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による世界の死者数1518万8000~6834万7000人。日本の死者数12万7000~57万人」という、米国ブルッキングス研究所の衝撃的な報告を伝えた。

 その記事公開から半月後の4月15日、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために厚生労働省が設置したクラスター対策班の西浦博教授(北海道大学大学院)は、会見で「何も対策しなければ、重篤患者85万人。うちほぼ半数が死亡」との国内試算を公表した。つまり、無策または対策を誤れば、約40万人の国民を死に至らしめることになる、と訴えたのである。この試算と米国ブルッキングス研究所が予測した「12万7000~57万人」とは矛盾しない。

 その前日の4月14日、科学誌「サイエンス」では米ハーバード大学の専門家チームが「パンデミック終息後に流行を再発させないためには、2022年まで外出制限や自粛などの規制措置を断続的に続ける必要がある」との見解を表明している。本稿執筆中の4月19日13時現在、世界の感染者数は235万1660人超、死者数も16万1280人を超えたが、感染拡大は日本も世界も3月に始まったばかりだ。

 一方、4月18日のAFPは、米国スタンフォード大学の研究者らの「米カリフォルニア州シリコンバレーにおける実際の感染者数は、公式集計の少なくとも50~85倍」との予備調査結果を報じた。採取した血液サンプルでウイルス抗体を検査する血清学的検査の結果によるものだ。対象地区のサンタクララ郡で公表されていたのは956人だが、実際の感染者数は4万7800~8万1260人ということになる。

 この調査結果が実態を反映しているとしたら、感染した場合の「致死率」は大幅に下がる。ただし、それは「現地で蔓延したウイルスによる感染症の場合」だ。なぜなら、新型コロナウイルスは猛スピードで次々に「変異」し続けていることが確認されているからである。

 病原体ゲノムの追跡調査データをオープンソースとして公開している「ネクストストレイン」は、前回の記事が公開された3月31日、新型コロナウイルスの拡大経過をもとに同ウイルスの変異を明らかにした。今年3月末時点で2000を超えた新型コロナウイルスのゲノム(遺伝情報のすべて)を分析し、ウイルスが平均15日ごとに変異していることを明らかにしたという。

 また、英国ケンブリッジ大学の研究チームは、昨年12月下旬から今年3月上旬に検出された160人分のウイルス遺伝子配列を分析し、それが「中国の広東、日本・米国・オーストラリア」「中国の武漢」「欧州」の3パターンに分かれていたことを確認している。

 こうした最前線の調査結果や研究成果のめまぐるしい動きも踏まえて、本題に入る前に少し長くなるが、まずは文系の筆者自身が理解できるレベルで「ウイルス」というものの位置づけや性質を整理しておこう。対策の是非と思惑を検証するためには、それが必要だ。

「変異」こそが、ウイルスにとって存在し続けるための「生存戦略」

「ウイルス」という名称は、ラテン語で「毒、動物毒、毒液、毒物粘液」などを意味する“virus”に由来するそうだ。構造は、DNAやRNAのような核酸がタンパク質に包まれただけであり、「細胞膜」はなく「代謝」もみられず「自己増殖」もしない。

 そのため、ウイルスが既存の「生物」定義から外れる非生物だとしたら、その動きや所作は単なる物理的・化学的なメカニズムだ。しかし、ウイルスに「存在し続けよう」とする振る舞いがある以上、それらの動きは自然選択(自然淘汰)としての生存戦略であり、「生物」としてみるべき対象ということになる。

 生物であれば当然、生と死がある。病原体であるウイルスがヒトを宿主として棲みつけば、ヒトの死によっていずれ自らも死ぬ。そのため、その前にできるだけ広く“子孫”をばらまいておかねばならない。宿主をウイルスが「仮住まい」とするか「終の棲家」とするかで、ヒトの生死も左右される場合がある。転居すれば、それが「感染」だ。ウイルスは生物としての生存を懸けて、本質的に「宿主の集団にどれだけ広範に感染しまくるか」という戦略的かつ数学的命題を抱えていることになる。

 感染したウイルスは、宿主の細胞を利用して自らのコピーを増殖する。宿主の免疫システムは当然、ウイルスを攻撃する。ウイルスは、細胞コピーによる増殖で宿主の免疫システムも同時に破壊し、その攻撃を止めようとする。そのため、宿主の免疫機能は次々に破壊されて無効化する。免疫系が順に破壊されれば当然、宿主の病状は悪化し、ときに重症化する。

 個々のウイルスに節操というものはないため、免疫破壊の度が過ぎて個体を死に至らしめれば、ウイルス自身も宿主を失う。宿主の死で居場所を失えば生き残れなくなるため、ウイルスは細胞へのコピーや攻撃等と並行して感染拡大にも努める。新型コロナやインフルエンザのように呼吸器系を破壊するウイルスは、宿主に飛沫を飛ばす咳やくしゃみをさせたり痰を吐かせたりすることで感染頻度を高め、“子孫”を広げる機会も増やそうとする。「仮住まい」と「終の棲家」の両方に保険をかけているわけだ。

 これらの過程でなされる「変異」こそが、ウイルスにとって存在し続けるための生存戦略である。感染を繰り返しながら変異するのは、環境に適応するためマイナーチェンジして“生き残ろう”とするからだ。

新型コロナとインフルエンザとの間にウイルス「干渉」があった可能性

 新型コロナウイルスのパンデミックと同じことは、過去にも発生した。20世紀のパンデミックとして知られるのは、1918年の「スペイン・インフルエンザ」、1957年の「アジアインフルエンザ」、1968年の「香港インフルエンザ」の3つである。過去も現在も、パンデミックが発生すれば病院機能が麻痺して救急やほかの疾患で治療を要する患者にも手が回らなくなるため、そのウイルスに感染した罹患者以外の疾患や事故で発生した重症者や死者が増える。また、世の中全体に感染が拡大するため、社会機能も損なわれる。今、世界中で起きていることだ。

 インフルエンザのウイルスにも「A」「B」「C」と3つの型がある。このうち、毎年流行するのはA型とB型だが、A型には不連続変異という特殊な変異様式で出現した亜型がある。B型やC型には存在しないものだ。変異前とは抗原性が異なるA型の亜型は、主に鳥類に存在するとされているが、それがヒトに感染して「ヒトからヒト」にも広がる感染能力を獲得すれば、ヒト社会は免疫がないため広く感染する。これが、日本でも米国でもその他の国でも多数の死者を出し続けている「新型インフルエンザ」である。

 よく言われるように、インフルエンザでも毎年多数の死者が出ている。厚労省のデータをみると、日本における例年のインフルエンザ流行期は1~3月。2017~19年の3年間における死者数は、17年が「1月770人、2月871人、3月488人」、18年は同じく「1092人、1260人、581人」、19年が「1685人、1107人、258人」である。米国では17~18年のシーズン中、約4500万人が感染して6万以上が死亡した。世界における死者数は前回述べた通りだ。

 ところが、今年に入ってインフルエンザの感染数が激減した。すでに4月に入った時点で流行期は過ぎているため、今から流行し始めるとは考えにくい。今年のインフルエンザ罹患数が減ったのは、「新型コロナウイルスの感染防止でヒトが日常生活の注意に努めたからだ」と言われたが、ウイルス間のいわば“もめ事”が主因ではないかとの見方がある。ウイルス感染での「干渉」という現象により、新型コロナウイルスが個体細胞の受容体を占領または破壊したことで、インフルエンザウイルスがヒトの細胞に吸着または増殖できなかったからではないか、という見立てだ。

 仮に、この「干渉」で季節性インフルエンザの罹患が減り、その死者が減少したのだとしたら、インフルエンザに罹患したはずの数だけ新型コロナに感染したかもしれない、という不安も生じる。

 その一方で、抗インフルエンザウイルス薬「アビガン」やエボラ出血熱の治療薬「レムデシビル」など、既存薬を新型コロナ感染症の治療に応用する研究・開発にも一定の成果が報告されている。まだ立証はされていないが、結核予防の「BCGワクチン」に有効性を指摘する声は医学者からも早い時期に出ていた。接種率の低い国で重症者と死者が激増した傾向がみられたからだ。ただし、大人の接種が増えれば子どもへのワクチン供給が不足する。民度はここにも露出する。

 果たして、ウイルスが放逐・殲滅されるか、宿主が衰退・激減するか。あるいは、なんらかの均衡に収斂して両者共存するか。複数にパターン分化したウイルスが、変異の果てに全体の生存を獲得して各々が安定し「弱毒化」すれば、ヒトの免疫システムを死に至らしめる破壊も抑制される。並行して世の中に抗体も広まり、通常であれば抗原抗体反応によってヒトの集団免疫も成立する。

 ただし、新型コロナウイルス感染症に対して、ヒトが「集団免疫」を獲得するのはおそらく容易ではない。前述のように、新型コロナウイルスは猛スピードで少なくとも3パターンに変異した。しかも、今のところ、季節性インフルエンザが示すような流行の「時期」は定まっておらず、いつ終わるかについて信頼に足る予測もない。

感染実態の把握を阻む「検査抑制」の一方で、国民には執拗に「自粛」を要請

 さて、長くなってしまったが、ここからが本題である。

 政府の「新型コロナウイルス感染症対策本部」(本部長=安倍晋三内閣総理大臣)は4月7日、「改正インフル特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)」に基づき、史上初の「緊急事態宣言」を発令、実施区域を「東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・兵庫・福岡の1都1府5県」、実施期間を「5月6日までの1カ月間」とした。ところが、その9日後には、クラスター対策班が前日に公表した「死者40万人の試算」を受ける形で「実施区域を全国に拡大する」と発表した。

 宣言の発令で、国民は「私権」の一部を制限されることになった。しかし、伝染病におびえ経済にも不安を抱いていた国民の多くは、「感染防止」と「経済補償」を期待して宣言の発令を素直に受け止めた。むしろ、明日をも知れぬ庶民は待ちに待っていたかもしれない。勤め人はどっちつかずの状態で通勤させられることに不安が募り、商売人は客足が激減して目減りする収入に補償を期待したからである。

 安倍政権は国民に対して繰り返し「自粛」を求めている。人と人が接触する機会を慎めば感染の機会が減ることは間違いない。その結果、全国で外出が減り、商いも交流も激減した。あらゆる活動は停滞し、社会は衰退に向かっている。それが生む悪循環に陥らぬよう、諸外国の政府は国民生活維持のために、多額の経済的補償を次々と実施している。

 ところが、日本の政府はそのようには動かなかった。生活危機に瀕した国民の実態を知りながら、納税で預かっているカネも、国債の追加発行でひねり出せるカネも出し渋ったのだ。政府の「緊急経済対策108.2兆円」は、安倍首相の口から発表された瞬間に底が見えてしまったからである。

 108兆円は、民間金融機関からの融資や民間負担分を含む「事業規模の総額」であり、それに含めて“真水”と表現された財政支出39.5兆円には、日本政策金融公庫の融資を中心とした財政投融資が含まれている。つまり、財政支出の実額は19兆円にすぎないということだ。

 国民にカネを出し渋った挙げ句、世帯がどうの個人がどうのと右往左往した結果、提示されたのは「1人一律10万円」という金額である。この先、多くの国民が路頭に迷うには“十分”の金額だ。今、国民は生活経済の見通しもないまま「補償なき自粛」を強いられている。

 理屈を言えば、そもそも自粛とは「自らの意思で自発的に自分の言動を慎むこと」である。自粛しなさいと言われてする“自粛”は自粛ではないし、自粛しない人を責め立てて“自粛”させても、それは自粛ではない。身に迫る感染の危険を知り、それが自分や身近な人々、そして社会全体の存続をいかに脅かすかを理解して初めて、その災禍を回避するために「接触回避は必要」との意識が芽生える。世界の状況を知らない多くの国民にとっては、仕事を休んでまで自粛せねばならない切迫感や必然性はなかったのである。

 政府と専門家会議は当初、感染を判別するPCR検査を事実上、抑制する方針を採っていた。検査数が限られれば感染の実態は把握できず、「自粛しなかった国民の自業自得」という空気が感染増加の主因として醸成され、常識化された。それによる同調圧力で家にこもる人々は少なくなかったに違いない。

 ところが、自粛の必要性を執拗に求めながら、政府と専門家会議は最近まで、海外で激増する死者数を具体的・積極的に伝えようとはしてこなかった。国内の感染者数と死者数だけを根拠に国民の不安を煽り、自粛を求めてきたのだ。欧米のすさまじい数字が彼らの口から直接語られ始めたのは、PCR法による検査拡大の解禁を前後した時期からである。

 筆者も含めて、決して少なくない国民が「検査は抑制された」との疑いや違和感をぬぐいきれなかった。それが事実であれば、果たしてその理由は何か。

 今、筆者の手元に、その手がかりとなる数十枚の行政文書がある。

(文=藤野光太郎/ジャーナリスト)

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