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「偉人たちの診察室」第20回・北条政子

精神科医が語る北条政子の“パラノイア”…被害妄想に取りつかれ源頼家ほか源氏一族を粛清

文=岩波 明/精神科医
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実の子どもだろうが父親だろうが、敵対すれば容赦なく追放し失脚させ、「日本三大悪女」などと呼ばれることも多い北条政子。夫の愛人宅を破壊なんて、朝飯前なのかもしれない……?(画像は江戸時代の絵師・菊池容斎による北条政子【Wikipediaに掲載】より)

 北条政子は源頼朝の妻というだけでなく、初期の鎌倉時代に対し強い政治力を発揮した人物である。この時代を語るにあたっては、舞台となった鎌倉の地理的条件を考慮する必要があろう。「首都」であったにもかかわらず、鎌倉は小規模な町であった。

 北条政子は保元2(1157)年の生まれで、鎌倉幕府を開いた頼朝との間に、頼家(2代将軍)、実朝(3代将軍)、大姫、三幡の4人の子どもをもうけた。頼朝の死後は出家し、尼御台と呼ばれた。さらに嫡男・頼家、次男・実朝が謀殺された後は、京から招いた幼い将軍の後見となって幕政の実権を握り、尼将軍と称された。

 北条政子に対する評価はさまざまである。女性として政治のとりまとめを行ったことを高く評価するものもあれば、2人の子が変死して婚家が滅び、実家である北条氏がこれに代わったことを批判されることもある。日野富子や淀殿と並ぶ悪女とする評価や、「毒親」とする見解もみられる。

 本稿を執筆するにあたって、『北条政子』(関幸彦著/ミネルヴァ書房)、『北条氏の時代』(本郷和人著/文春新書)、『北条政子、義時の謀略』(永井晋著/KKベストブック)、『「わきまえない女」だった北条政子』(跡部蛮著/双葉社)などを参考にした。

不穏な動きがあればすぐに察知されてしまう、鎌倉というエリアの“狭さ”

 鎌倉は東西と北側を山に、南側を海に囲まれた土地で、平地はわずかしかない。源氏の諸将や北条政子が活躍した時代、海岸線は今より北側にあり、人の住める土地はさらに狭かった。

 現在の鎌倉市における主な住宅地は、JR鎌倉駅から材木座、由比ヶ浜に至る地域である。腰越から長谷のあたりまでは、小高い丘陵が海岸線まで迫っている。北側も鶴岡八幡宮のある一角を過ぎると隘路しかない山道となり、西側も同様である。

 かつての日本の政治的中心地であったにもかかわらず、2022年の時点で鎌倉市の人口は約17万3000人(5月1日現在)と決して大きな町ではない。これは近隣の藤沢市(約42万4000人/行政による推計値)、横須賀市(約38万3000人/行政による推計値)の半分以下である。

 また鎌倉市全体の面積は、39.67平方キロであるが、中心部のいわゆる「鎌倉地域」はその約3分の1の14.22平方キロである。この数字は、東京都内でいえば千代田区(11.66平方キロ)よりは広いが、新宿区(18.22平方キロ)よりは狭いのである。

 鎌倉時代の初期に起きた数々の陰謀や事件は、すべてこの狭いいち区画で起きたことを念頭に置く必要がある。不穏な動きあれば、すぐに察知されてしまうのである。

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