あなたも、いつの間にか嘘をついている…無意識の記憶違いが、人間関係トラブルの元凶
記憶は今を映し出す
政治家や官僚が「記憶にございません」というのが、その言い方からしてウソだとわかるということはすでに指摘した。その場合は本人もごまかしているつもりなのだろうが、職場の上司や同僚、部下や取引先など日常的に接している人のなかにも、平気でウソを言う人物がいるものだ。
「なんで、あんなウソを平気で言えるのだろう」と理解に苦しむかもしれない。だが、もしかしたら本人にウソをついているつもりはないかもしれない。その場合は、本人がウソをついているのではなく、記憶がウソをついているのだ。
そのことを証明した調査がある。それは、4年の間隔をおいて同じ人たちを対象に実施された政治意識調査をもとにして行われたものである。そこでは、4年間のうちに支持政党が変わった人たちを抽出し、その人たちに、4年前と支持政党が変わったかどうかを尋ねている。
その結果、なんとそのうちの9割が「自分は支持政党を変えていない」と答えたのである。自分は信念が安易に変わるようないい加減な人間ではないといった思いが、このような記憶の変容を引き起こすのだろう。いずれにしても、本当は支持政党が変わっているにもかかわらず、9割もの人が、自分は今支持している政党を4年前にも支持していたと思い込んでいるのだ。
このようなデータからわかるのは、記憶というのは、今の自分に都合のよい方向に変容するということである。あんなウソをなぜ平気で言えるのだと理解に苦しむ相手も、じつは記憶が今の自分に都合よく変容してしまっているため、偽の記憶を信じ込んでいるのかもしれない。それならば、悪びれもせずに堂々とウソを言えるわけだ。
もしかしたら、あからさまなウソを主張する政治家や官僚の頭の中でも、今の自分に都合よく記憶の変容が生じており、偽の記憶を信じ込んでいるため、見苦しいウソを平気で主張できるのかもしれない。
記憶を過信しない
そんな曖昧な記憶だが、私たちは自分の記憶は確かなものだと思って日常生活を送っている。自分の記憶を前提にして、さまざまな人とかかわっている。知人とかかわる際も、その人とのかかわりの記憶に基づいて話しかけ、対話をする。「待てよ。この記憶は偽物かもしれないぞ。それは、もしかしたらほかの人とのやりとりの記憶かもしれない」などと自分の記憶を疑っていたら、日常の流れが止まってしまう。
仕事相手との交渉の場でも、その人とのこれまでのやりとりの記憶をもとにして交渉を進める。その際に、「記憶に騙されてるかもしれない。この記憶は、本当にこの人とのやりとりの場の記憶だろうか?」などと疑っていたら、非常にぎこちなくなり、交渉どころではなくなってしまう。
ゆえに、私たちはなんの疑いもなく、自分の記憶を前提にして暮らしている。私たちの行動は、ほぼ自動的に記憶を参照しながら決定されている。だが、私たちの記憶の中には、偽物の記憶が混じっている可能性が十分あるのだ。
自分が経験したと思い込んでいても、実際には経験していないかもしれない。こういうことだったと記憶している出来事も、本当はちょっと違った出来事だったのかもしれない。この人とのやりとりだったと思い込んでいることが、じつは別の人とのやりとりだったかもしれない。
記憶違いが仕事において致命的なミスにつながることもある。記憶違いが人間関係のトラブルを生むこともある。そうしたことを防ぐためにも、自分の記憶を過信しないことだ。
記憶はウソをつく。このことを忘れないようにしたい。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)
※関連書籍
榎本博明『記憶はウソをつく』祥伝社新書