人は誰もが最終的には死を迎える。いつか来る死に向けて、より良い死を迎えるために、そして残された人のために、「終活」を考えている人もいるはず。自分が死んだとき、葬式はどうするのか、墓、相続といったことを予め決めておくのである。
一方、「後に残す人」がいない人もいるだろう。たとえば2017年、大阪府で孤独死したのは1101人。そのうち男性は871人とおよそ8割を占めた(毎日新聞2019年11月12日付)。
孤独死は本当に「悲惨な死」なのか
自らの死にざま、男としての死にざまをどう考えるのか、死生観について、作家・宗教学者の島田裕巳氏が考えていくのが『男の死にざま』(島田裕巳著、扶桑社刊)だ。孤独死の8割が男性というデータを見ると、生涯未婚率が高まる近年、独身男性としては自分も結婚しないまま高齢者となり、最期は孤独死を遂げる可能性に思い至り、恐れの対象となる。独り暮らしをしていて自宅で亡くなり、しばらくの間発見されない。ときには遺体が腐敗することもある。というような自分が孤独死する状況を思い浮かべてみると、なんとも悲惨なことに思えてくる。
しかし、「孤独死=悲劇的な死」というのはどうなのだろう。孤独死するということは、それまで、その人が自立して生活していたことを意味する。一人で生きてこられたからこそ孤独死するわけで、その直前の段階では、自活できる程度には元気だったことになる。
孤独死については、発見されるまで時間がかかるということが「寂しい死」を感じさせる原因になっているが、その時点ではすでに死んでいるわけで、当人はその死がしばらく発見されないでいても、まったく分からない。それを寂しいと感じるのは、他の人の想像力によるものだ。施設や病院で亡くなるにしても、深夜だったりすれば誰にも気づかれず、見とる人もいないことは十分に考えられる。それはそれで孤独な死であるとも言える。
他にも考え方はある。高度に文化が発達した現代社会では、長生きし、経験を高めてきた人間が多くいることを必要としている。この社会を維持するには、さまざまな人の多様な行動や多方面にわたる活動が欠かせない。そのことを改めて認識すれば、自分の人生が孤独死に向かっているという予感がしても、しっかり生き続けようと、気持ちを引き締めることができるのではないか。そういった考え方を持ち、孤独死を恐れないことが重要なのだ。
死にざまについて、人生について考えさせられる本書。自分の死生観とはどんなものなのか。改めて考えさせられる1冊だ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。