大手新聞社、広告出稿の見返りにサラ金批判を封じる密約?
合併後の日々出身の社長は初代、3代目ともに政治部一筋の政治部長、編集局長経験者だった。旧日々OBの間では「5代目も政治部長経験者を充てるべきだ」という声が強かった。実際、富島の同期に合併後もエースとして政治部に残り、政治部長、編集局長を務めた源田真一(げんだしんいち)という男がいた。政治記者時代に企画記事部門で日本報道協会賞を受賞しており、いずれは5代目社長に就くとみられていた。
しかし、源田は編集担当常務の時、体調を崩し、経営の一線から身を引いた。このため、旧日々時代は政治部に所属していたうえ、広告部門で業績を上げた富島が浮上した。富島は社長に就くと、言論報道よりも収益重視の姿勢をさらに鮮明にした。その延長線上で起きたのが「サラ金報道自粛密約事件」だった。収益至上主義路線の咎めが出たのである。
4年少し前のことだ。日亜はサラ金最大手の太平洋金融から、年間10回見開き2ページの広告特集を5億円で受注した。通常、こうした広告特集はスポンサーが下5段を自社の宣伝に使う。しかし、多重債務問題の深刻化を背景に利息制限法を超す金利を取るサラ金への批判が強まる中、一連の特集では太平洋金融の社名を一切出さず、世界遺産の紹介や遺産を巡る旅の話で埋め、下5段には日亜の旅行関係の書籍広告などを載せる方式だった。
こんなおいしい話はないのだが、その裏には太平洋金融との密約があった。サラ金批判の記事の掲載を極力抑えるというもので、掲載する場合は扱いを小さくすることだった。この密約が、週刊誌「週刊真相」にすっぱ抜かれたのである。5回目の見開き広告が紙面を飾った3年前の正月だった。
この特集広告の受注は、富島の陣頭指揮で太平洋金融側にアプローチした成果で、太平洋金融のオーナー会長、大神保男(おおがみやすお)とのトップ会談で決まった。しかし、密約自体は文書化されなかった。言ってみれば、トップ同士の「口約束」だった。
それが幸いした。強気の富島の指示で、日亜は太平洋金融と共に、「週刊真相」編集部に対し「密約など存在しない。記事は事実無根だ。名誉毀損で訴えるぞ」と猛抗議した結果、予定されていた続報の掲載は見送られた。
結局、「週刊真相」の記事は単発で終わり、1カ月ほどで世間的には一件落着になった。しかし、日亜社内、特に編集局では「証拠はないかもしれないが、『週刊真相』の報道は事実だ」とみる記者が大半だった。若い記者の間では「社長の責任をうやむやにするのはおかしい」との声が根強く、編集担当専務の正田を突き上げる動きがくすぶり続けた。
そんなときに表面化したのが「取材メモねつ造事件」だった。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週12月1日(土)掲載予定です。
【過去の連載】
第2回『社用車で演歌を唸り、ホテルのスイートを定宿にする巨大新聞社長』
第3回『ウェブ化で傾いた大手新聞、合併にすがる社長同士が密談!?』
第4回『巨大新聞社を揺るがす株事情、マスコミは見て見ぬふり…』
第5回『巨大新聞社、外部からのチェックゼロで社長のやりたい放題!?』
第6回『カネでOBを買収し、合併を目論む巨大新聞社を阻む“事情”』
●大塚将司(おおつか・しょうじ)
作家・経済評論家。著書に『流転の果てーニッポン金融盛衰記 85→98』(きんざい)など