江口氏は党名変更自体には反対していたわけではない。ただ次期参院選を7カ月後に控えた年末年始に党名を変更するのは、コストがかかりすぎリスクが大きすぎるという。
「党本部のゴム印変更、新しいロゴの作成料や旗の新調、さらに街宣車の外装変更など、党名を変更するにはざっと見積もって6000万円ほどの経費がかかる。それならば、党名変更などはやめて、その分を地方で地道にがんばっている仲間に支給したほうがいい」(江口氏)
江口氏は12月14日から16日まで、懇意にしている李登輝元台湾総統の孫娘の結婚式に参列するために台北へ行く予定だったが、すでに腹をくくっていたのだろう。その直前に筆者にこう語っている。
党名変更に積極的なのは、代表の中山恭子参院議員。しかし、江口氏が強く反対したこと、さらに党員や支持者の多くが反対を表明したことにより、11月にはいったんひっこめている。
党本部も市場調査を行い、党名変更が参院選までに浸透しないこと、党名変更がかえってマイナスになるとのレポートを作成し、中山氏に報告している。それを読んだ中山氏は機嫌を損ねた表情を見せたが、やむを得ないとしぶしぶ党名変更断念に納得したという。
理解できない方向
ならば、どうして年末になって再び党名変更案が復活したのか。
次世代の党は、これまでにもしばしば理解できない方向に舵を切ることがあった。
たとえば昨年12月の衆院選だ。この時、同党は田母神俊雄氏を東京12区に擁立した。同選挙区は公明党の太田昭宏前国交大臣の地盤である。田母神氏は同年2月の東京都知事選で61万票を獲得したので、次世代の党はその「人気」を当てにした。
しかし地方の選挙と国政選挙では、票の出方が異なると考えるのが普通だ。しかも自民党にすり寄りながら、激しく公明党批判を繰り広げたという戦法を採ったために、結果的に得票数は4万票に満たず最下位で落選。共産党の池内沙織氏にまでも負けてしまった。その後、田母神氏には政治資金疑惑が発覚したため、今後は政治の表舞台に出てくるのは難しいと見られている。