大手新聞社長、公然と経費で愛人とドンペリに溺れ醜態をさらす
「このドンペリ、10年前に飲んだのと同じかしら?」
松野もテーブルのグラスを取り、2杯目を飲んだ。
「それはわからないな。10年前は本場だったからね。多分、ドンペリにもたくさん種類があるんじゃないか。あのとき、パリ支局長が『最高級のを2本』と注文した。僕もルームサービスに『最高級』って頼んだけど、ここのホテルに置いてある中での話だからね」
10年前のこの日は、「大ルーブル展」の調印式の翌日だった。調印式の打ち上げと称して、ホテル・リッツのレスパドンで烏山主催の内輪の懇親会があった。
懇親会に出席したのは、当時大都新聞社長で現相談役の烏山凱忠と愛人の秀香、パリ支局長、その部下の支局員、そして、松野と香也子の2人、合計6人だった。こういう海外での内輪の会食のとき、同行している秀香に自分の権勢を見せるため、烏山はとびきりの贅沢をする習性があった。
費用はすべて会社の経費、カネに糸目はつけない。ホテルにしろ、レストランにしろ、飲み物にしろ、とにかく値段の高いのを選ばせるのだ。味や雰囲気とは無縁の烏山にとって、基準は価格だけだった。宿泊先がホテル・リッツ、懇親会がレスパドンなのはその基準で選ばれている。料理だけでなく、飲み物も同じで、パリ支局長がドンペリの中で「最高級のを2本」と注文したのは当然だった。
「私、ドンペリを飲むの、あの時が初めてだったの。それまでドンペリなんて銀座の高級クラブか新宿のホストクラブで飲むものだと思っていた。でも、おいしかった」
「そうだね。あのとき、香也ちゃん、『おいしい、おいしい』と言って、何杯も飲んだ。だから、酔っ払っちゃったんだよ」
「違うわ。コース料理もおいしくて、ドンペリも進んだわよ。でも、飲み過ぎたのは別の理由よ」
「香也ちゃん、プライベートで傷ついたからね。まだ傷が癒えていなかっただろうな」
松野の念頭には、その4年前の略奪愛と3年足らずでの破局があったが、香也子は軽く一蹴した。
●公然で愛人といちゃつき、下品な醜態をさらす
「それも違うわ。あの2人が…」
「あの2人?」
「“狆(ちん)爺さん”と愛人よ。いちゃいちゃするだけならいいんだけど、仕草が下卑ているでしょ。ピチャピチャ、音を立てて食べるし、マナーもあったもんじゃないわ。あれじゃ、せっかくの料理も興醒めだし、日本人の恥!」
「“狆爺さんとは、うまいこと言うね。烏山相談役、確かに似ているな」
「あの2人のおかげで飲み過ぎたの。パパだって嫌そうな顔していたじゃない?」
「確かに下卑ているよ。でも、僕らの年だと、田舎者の度合いの問題でね。香也ちゃんみたいな帰国子女とは違う。あの時の海外出張自体、気が進まなかったからね」
松野は自分のグラスに3杯目のドンぺリを注ぎながら、サンドイッチに手を伸ばした香也子に向かって答えた。
「でも、気が進まなかったのは、あの2人と一緒だったからでしょ?」
「そりゃ、そうだけど、あの懇親会は忘れられない思い出さ」
「パパの不倫願望を満たせたから?」
香也子は4杯目のドンぺリに少し口をつけ、クスクスと笑った。
「香也ちゃん、そういじめないでよ。10年前と比べて、まずいわけじゃないんだろ?」
「そうよ。今日のもおいしいわ。私だって、ワインやシャンパンの味がわかるわけじゃないし、ドンぺリを飲むのもあの時以来だし……」
香也子は一度テーブルに戻したグラスを取り、グラスの中で次から次に上がってくる小さな気泡を見つめた。そして、今度は気泡を味わうようにゆっくり飲み干した。気泡が舌の上で弾け、喉を流れ、消えるのがわかり、目を閉じた。
「やっぱりおいしいわ」
香也子が閉じた目を開いた。
「じゃあ、5杯目」
松野がボトルを取り、香也子が持ったままのグラスにドンぺリを注いだ。
●朝から経費でブランド品を買いあさる社長と愛人
「パパ、そんなに私を酔わせたいの?」
「そんなことないさ。でも、君、追いつきたい、って言っていたじゃないの。 10年前のようなことが起きてもいいけど……」
「私、10年前のこと、本当によく覚えていないの」
「本当にそうなの? 言ってもいいのかい?」
香也子が目で頷くのを見て、松野が続けた。