大手新聞社長、不倫相手を入社させた!? なぜ同棲にいそしみ何もせず出世できた?
以来、2人の同棲生活は、仲之町の村尾の賃貸マンションと左内坂の由利菜のマンションを行ったり来たりして続くことになったのである。
「由利菜が自分のマンションを買ってから4年間は平穏だったな。土日には市ヶ谷や神楽坂で2人揃って食事をしたりした。1回だけ、日亜の記者と出会ったことがあったけど、ちょっと噂になっただけで済んだ」
●出世の階段
同棲生活は99年春までの4年間続いたが、村尾の名古屋転勤で途切れてしまい、2年間は遠距離恋愛ならぬ遠距離同棲となった。これを機に由利菜と別れることはできたが、そうならなかった。由利菜が、ある意味で“あげまん”だったからだ。
当時、親分の富島と同期で次期社長の本命だった源田が体調を崩し、次期社長に富島の芽が出てきた。しかも、村尾は富島の子分として着実に出世の階段を上り始めていた。
「名古屋に転勤になった時、彼女と別れる2度目のチャンスだった。でも、あの時は、ようやく出世コースに乗ったと確信できた時だった……」
村尾は世論調査室次長を1年務めた。しかし、その後のコースの政治部次長はもちろん、政治分野の編集委員や論説委員を務める能力はなかった。富島の力を持ってしても、経済部次長にすることも無理だった。このため、富島自身が主導して新設した「マーケット経済情報部」のデスクにはめ込んだ。94年春のことだ。
「マーケット経済情報部」は時々刻々の情報を求めるマーケット関係者をターゲットに、編集局に集まる情報を取捨選択していち早く情報端末向けに流すセクションで、ネット時代突入で役割を増した。これも村尾にとっては幸運だった。「マーケット経済情報部」では、取材力や記事を書く能力は求められない。ある意味で、村尾が『水を得た魚』になれる部署だった。実際、事務処理能力を認められ、2年後には2代目部長に起用された。
3年間部長を務めると、村尾は99年春に名古屋本社副代表という肩書で転勤した。常務名古屋本社代表だった富島が引っ張ったのだが、それは局長、役員待ちのポストで、将来は悪くても子会社の社長として経営に関わり続けることが約束されたようなものだった。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週3月22日(金)掲載予定です。
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