第2回目の検証委で私が最も気になったシーンは、当時、大川小にいて生存した児童の父親が意見を述べた後、委員の1人が「お子さまの学年は?」と聞いた部分だ。既出情報なだけに、何かのフリなのかと思っていたら、それだけで終わった。私だけでなく、多くの傍聴者が気になったのではないか。しかし、それを発言した委員は会見に欠席したため、直接、その意図を聞くことができなかった。なぜ、その委員が欠席したのか。その理由を尋ねられた室崎委員長は「会見の参加について強制できない」と発言した。
休憩時間にその委員が、意見をした父親に話しかけていたのを私は見ていた。そこで学年を聞いた意図を話していたのではないかと私は思った。そのため、どんな会話をしたのかをその父親に尋ねてみた。
「マスコミに子どもを出して大丈夫かという点を心配していると、そういう意味に私は取りました。だから『心配しないでいいですよ』と言ったんです。私は、子どもを表に出してしゃべらせたことは正しかったと思ってる」
また、遺族やマスコミなど傍聴者の多くは、第2回目も前回と同様に、検証の作業方法について話し合っていた姿を見て、疑問に感じたところが多かったのではないか。遺族の1人はこう話した。
「がっかりしたね。(議論が)後戻りしている。まだ検証が始まっていない。作業の仕方を話している。今日で2回目だよ。(生存した)子どもの学年を聞くって、何を考えているのか。肝心要のことは出てこないっちゃ。それを検証せずに何をしようというのか。本当に効率が悪い」
検証委は年内に最終報告を出すことになっている。その中間報告が当初は6月の予定だったが、7月7日にずれ込んだ。もちろん、遺族の間でも、いろんな意見があり、難しい舵取りをしなければならない。次回までに時間がかかるのは、きちんと検証をしたいという意志の表れと見ることもできなくはない。その意味では苦労が絶えないのもわからなくもない。しかし、プロセスの一つひとつを大事にしていかないと、何のための第三者委員会なのかわからない。
(文=渋井 哲也/フリーライター)