米海兵隊は日本から約7000憶円の立ち退き料を得て、沖縄の部隊のグアム移転を進めている。沖縄に残る海兵隊の大部分は補給処、病院などの後方支援部隊だ。戦闘部隊は佐世保の揚陸艦に乗って西太平洋、インド洋に出動する「第31海兵遠征隊(MEU)」(歩兵一個大隊約800人、ヘリとオスプレイ20余機など)と、それに歩兵を差し出す親部隊の第4歩兵連隊とヘリなどの親部隊第36航空群だけだ。
これもグアムに引っ越せば、普天間基地も辺野古の新基地も不要となるのだが、揚陸艦が佐世保にいる以上、それに乗り込む歩兵やヘリ等をグアムに移すことに米軍は同意しない。戦争や暴動、災害などの際、海外に在留する米国人を避難させるのが海兵隊の重要な任務だ。その際に揚陸艦が佐世保からグアムまでの約3000キロを約3日かかって海兵部隊を迎えに行き、韓国などまで、また4日をかけて引き返すのでは初動が大事な在留米国人の避難は困難だ。
兵員だけはグアムから輸送機で長崎空港などへ運べるが、装甲車やトラック、ヘリコプターなどは船でないと運びにくい。グアムのアガナ港は艦船の修理能力がなく、揚陸艦の母港には不適だから、米軍としては「第31海兵遠征隊」とその親部隊だけは沖縄に残したいのだ。
こうした状況を考えれば、普天間の海兵第36航空群の県外、国外移転が玉城知事の在任中に実現する可能性は低く、辺野古基地建設をめぐる日本政府と沖縄県の対立は泥沼状態が続くと考えられる。
(3)尖閣諸島や中国との関係への影響
「玉城氏の知事就任で状況が変わる要素はほぼない」と考える。
米国側は尖閣諸島に日米安全保障条約第5条「武力攻撃に対する共同行動」が適用されることを常に述べているが、これは安保条約に基づく地位協定で尖閣諸島の赤尾嶼、黄尾嶼(これは中国風の名であるため、日本はのちに大正島、久場島と改称したが、協定上の名称は不変)が米海軍の射爆撃場(標的)として提供施設・区域となっているから、安保条約の適用範囲であることは米国も否定できないためだ。
だが米国は2014年4月の東京での日米首脳会談後の共同記者会見で、オバマ大統領が「あの岩の領有権について特定の立場はとらないが……」と答えたように、関わり合いを避ける姿勢を示してきた。
2015年4月に合意された「日米防衛協力のための指針」(ガイドラインズ)では「自衛隊は島嶼に対するものを含む陸上攻撃を阻止し、排除するために作戦を主体的に実施する。必要が生じた場合、自衛隊は島嶼を奪回するための作戦を実施する」と決めている。「主体的に実施」は英文では「Primary Responsibility(一義的責任)」を負う、となっている。この作戦は日米両国ではなく「自衛隊」が実施することを決め、米軍はそれを支援、補完するだけだ。
米国にとり、「他国の領有権問題には関与しない」のが外交の基本原則であり、日本の無人島のために中国と戦争することは愚の骨頂だから、「やるなら自衛隊の責任でやれ」と指針に明記したのだ。
沖縄の米海兵隊は「第3海兵師団」の名称を持つが、兵力は次々に削減され、今や「師団」とは名ばかり、戦闘部隊は「第31MEU」だけだ。歩兵一個大隊、約800人、それにヘリコプターなど20機余、装甲車約20輌などが付き、後方支援部隊を含んで2000人余の部隊だ。揚陸艦3隻に分乗して、西太平洋、インド洋に出動しているから、沖縄の防衛兵力ではない。わずか800人ほどの歩兵で、戦車はゼロだから、戦争の先鋒に使えるほどの力はない。
韓国で戦争が始まったり、アジアのどこかで暴動が起きたような場合、一時的に飛行場や港を占拠して暴徒や難民を排除し、米国人を保護、誘導して飛行機や船に乗せては脱出させるのに役立つ程度だ。
政府は韓国などの有事の際、在留邦人の避難を米軍がやってくれるような期待感を国民に抱かせているが、米軍は避難者を運ぶ優先順位として、1.米国旅券、または軍人の家族の身分証明書を持つ者、2.グリーンカード(米国の在留許可証)を持つ者、3.英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド国民、4.その他――の順番を決めている。米軍が米国人を守ることを第一とするのは当然で、日本など「その他」の国民を運ぶのは第3順位までの人々の避難が終わった後になる。
「ガイドラインズ」では日米政府はそれぞれ「自国民の退避および現地当局との関係の処理について責任を有する」と決め、米国はなにもしなくても非難されないようにしている。
玉城知事が就任しても、第31MEUが沖縄から退去する可能性はごく低く、そもそもその小部隊が日本の防衛に役立っているわけでもないから、それが居ても居なくても日本の安全保障にかかわるような話ではない。もし嘉手納の米空軍基地を閉鎖させようとするのであれば、日米関係にとっては大問題となろうが、玉城知事がそこまで大胆な言動に出るとは考えがたい。
玉城知事の就任は情勢を一変させることにはならない、と私が考えるのは以上のような理由からである。
(文=田岡俊次/軍事ジャーナリスト)