東京五輪後、家は値下がりして買いやすくなる…バブル崩壊で「私たち」は何も困らない
東京五輪の開催まであと3年を切った。不動産マーケットはアベノミクスによる大幅で長期間にわたる金融緩和の恩恵を受けて、好調である。今年3月に発表された公示地価では全国の住宅地の地価が9年ぶりに上昇に転じて話題となり、東京・銀座の山野楽器前の地価は平方メートル当たり5000万円を上回り、平成バブル期を超えたともてはやされた。
業界のなかでも不動産マーケットは、「おそらく」「おおむね」東京五輪までこの状態が続くのではないかといういささか楽観的な観測が飛び交っている。どうやら安倍一強体制も当面は安泰らしいし、日銀の金融政策にも大きな変化がないということは、不動産業界にとって資金調達環境は「史上空前の好条件」が続くということであり、当面死角は見当たらないというのが理屈だ。
この状況を伝えるメディアの側もなんだか妙におとなしい。平成バブル時には「地価狂奔」と騒ぎ立て、このままでは一般庶民にとって住宅は手が届かなくなる、地価は無理やりにでも下げるべきだと声高に叫んでいたのが、一部の週刊誌が「バブル再来」のような特集を組んでいる以外、だいぶトーンが低いようだ。
平成バブル時と現在では何が変わっていて、何が変わっていないのだろうか。
変わった日本の「顔」
変わったのは日本そのものの顔である。平成バブル期の1990年、日本の生産年齢人口(15歳から64歳までの人口)は8587万人、全人口に占める割合は70%近くに及んでいた。ところが現在(2015年)では、その数は7682万人と1割以上も減少、全人口に占める割合は60%ぎりぎりになっているのだ。
住宅を購入する層のマーケットは萎み、「マンション価格が上がりすぎて、一般庶民には新築マンションは手が届かなくなっている」と叫んでみたところで、例えば首都圏(1都3県)のマンション供給戸数は、年間で4万戸にも及ばず、平成バブル時に比べれば半分程度の水準にまで縮小している。つまり多くの日本人にはすでに住宅が行き渡ってしまっているので、ことさら騒ぎ立てるほどのことでもなくなっているのが実態だ。
「変わった」もうひとつの側面が、不動産を扱っているプレーヤーの顔だ。平成バブル時は、猫も杓子も銀行からお金を借りて、不動産を買いまくった。本業とはなんの関係もない不動産を普通の中小企業が買いまくり、自らのバランスシートを膨らませ続け、売却して巨万の富を築こうとしたのだ。