東京五輪後、家は値下がりして買いやすくなる…バブル崩壊で「私たち」は何も困らない
ところが、今は不動産を本業としているデベロッパーやハウスメーカーは別として、不動産投資に狂奔する企業の姿は見られない。代わりに登場しているのが、アジアからの個人投資家や、「働き方改革」に名を借りて、副業として給料以外の稼ぎを得ようとする会社員や主婦などの個人投資家、そろそろ事業承継はあきらめて農地に賃貸アパートなどを建てて老後資金の足しにしようとする高齢者層などである。
変わらない銀行の性分
では、「変わっていない」のはなんだろうか。不動産投資の本質は、投資して売却することによって得られるキャピタルゲインと、投資したのちにこれを運用することによって得られるインカムゲインである。そして日本の場合、これにさらに特典を与えているのが、税制上の各種優遇措置である。
これらの投資効率を上げるのが金融という道具である。借入金を利用することで自己資金に対する運用利回りは上昇する。そして投資における出口、つまり売却時にキャピタルゲインが得られるのであれば、投資効率向上に貢献した借入金を返済でき、さらにインカムゲインを手にするというのが不動産投資のシナリオだ。
税金対策における不動産投資もその本質はまったく変わっていない。現金で1億円を持っていれば、相続の際には額面通りに課税される。ところがこれを土地にすれば路線価評価、建物は固定資産税評価となり、いずれも簿価よりも安く評価される。これに借入金を使えば、借入金は相続財産評価額から差し引かれるのでさらに節税効果が働くというわけだ。
プレーヤーが誰であろうと、不動産投資を支えるのがこの金融という道具である。日銀は史上稀にみる低金利政策を行い続けている。医療の現場に例えるならば、元気がなくなり病状が悪化している患者に大量のモルヒネを与え続けているような政策だが、今のところ一定の検査値を叩き出して延命措置は成功しているかのようにみえる。そしてこうした政策は主要先進国でも蔓延しており、行き場を失った大量のマネーが不動産へと流れ込んでいる。
日本においては運用先のない金融機関が、事業性についてはあまり考えずに不動産の担保価値だけを判断根拠として大量の融資を行っている。その結果として、あまり需要のないような地方の農村部にアパートが何棟も立ち上がるような奇怪な光景を目にすることが多くなっているのだ。