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『ONE PIECE』作者の一言で記憶に甦った、横井庄一さんら帰還兵のその後

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 あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。

 今回のテーマは、横井庄一さんと小野田寛郎さん。1970年代に残留日本兵として、約30年ぶりに母国の土を踏んだとして話題になった両名について振り返っていきます。

28年間潜伏を続けた横井庄一さん

※参考画像:『鎮魂の旅路―横井庄一の戦後を生きた妻の手記』

 今年6月、漫画家・尾田栄一郎の炎上騒動で話題になった横井庄一さん。『ONE PIECE』(集英社)89巻の作者コメントで「みんなでごはん食べる時 最後に一つ大皿にぽつんと残ってるからあげとかあるよね。あいつに名前をつける事にしました。横井軍曹と。『横井軍曹残ってるよ!誰か戦争を終わらせて!』的な。分からないちびっ子は調べてね」と書いたことで、「不謹慎だ!」と叩かれたのです。

 思わぬかたちで世間の関心を再び集めた横井さんが、28年にも及ぶグアムでの潜伏生活を経て母国の土を踏んだのは今から46年前、1972年のこと。帰国して放った第一声「恥ずかしながら帰って参りました」は、当時の流行語にもなりました。

 横井さんが、歩兵第38連隊の陸軍伍長としてグアムへ渡ったのは1944年。同年7月25日、上陸した米軍に追い詰められ、日本兵のほとんどが戦死か自決によって死亡。残った日本兵も島を制圧した米軍に徹底抗戦を試みるも、やはりことごとく玉砕。横井さんは生き残った仲間と共に掘っ建て小屋を転々とするのですが、米軍の襲撃が繰り返され、やがて地下に潜るしかないと考え、穴を掘って潜伏生活をするようになります。そして時を経て1972年1月24日、食糧獲得のために罠を仕掛けようとしていたところを、現地の村人に発見・確保され、日本へ帰還するに至ったのです。

鋭い眼光が印象的だった小野田寛郎

※参考画像:『たった一人の30年戦争』(東京新聞出版局刊/amazonより)

 フィリピン・ルバング島から小野田寛郎さんが帰還したのは、横井さんが帰国した2年後にあたる1974年のこと。帰国当時、すっかり疲れ果ててくたびれた様子だった横井さんとは違い、長きに渡って身を潜めていた人間とは思えないほど鋭い眼光を放ち、全身に粛然とした雰囲気をまといながら一点を見据えて敬礼する小野田さんに、まるで旧大日本帝国軍人が30年前からタイムスリップしたような錯覚を受けて、衝撃を感じたという人も多いのではないでしょうか。

 陸軍中野学校二俣分校でゲリラ戦術・破壊工作を短期ながら徹底的に叩き込まれた小野田さんは、ルバング島にて師団長横山静雄陸軍中将から「玉砕はまかりならぬ、最後の1人になっても戦え」と指令を受けて任務を遂行。1945年10月、米軍の勧告で小野田さんのグループ以外の日本兵は投降するも、小野田グループの3人のみが残り、以降、孤独な戦いを続けることになります。1960年ごろには、残留日本兵発見の報告を受けた日本政府による呼びかけが実施されるも、「終戦を欺瞞」と断言し、一切応じることはなかったといいます。しかし、2人いた仲間を失い、孤独感を深めていた時に冒険家・鈴木紀夫の説得、さらには上官からの任務解除・帰国命令を受けて帰還することになったのです。

帰還後、対照的な人生を歩む2人

 帰還後の2人の人生は対照的です。まず横井さんですが、28年前の日本しか知らない彼が、果たして高度経済成長で目覚ましい発展を遂げ、様相も風習もすっかり変わった今の母国に馴染めるのか心配されたものの、すんなり順応します。帰国した年にはお見合いをしてその日のうちにプロポーズし、結婚しています。その後は、グアムでの経験を生かして耐乏生活評論家及び生活評論家として講演活動などに精を出し、1997年に82歳で世を去りました。

『ONE PIECE』作者の一言で記憶に甦った、横井庄一さんら帰還兵のその後のページです。ビジネスジャーナルは、連載、ONE PIECEミドルエッジ残留日本兵第二次世界大戦の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!

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