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「猥雑な街」五反田、オフィス街&おしゃれスポットに大変貌…有名ITベンチャー集積のワケ

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「池上線五反田高架下」の様子
 ある年代以上の人にとって、東京・五反田は「夜の街」「風俗街」のイメージが強いのではないだろうか。JR五反田駅周辺には飲み屋やキャバクラが集まり、かつてはマンションの一室で営業する「SMクラブ」のメッカでもあった。


 しかし、2010年代以降、その五反田に変化が起きている。五反田駅近くを流れる目黒川周辺にIT・ウェブ関連のベンチャー企業が次々と進出し、東急池上線の高架下には、おしゃれな飲食店が立ち並ぶ新スポットも誕生した。五反田で今、何が起きているのか。

戦前の花街と戦後の闇市が五反田のルーツ?


 まず、五反田の歴史を振り返っておこう。JR山手線が運行を開始したのは1909年。しかし、当時はまだ五反田に駅はなく、周辺は田んぼばかりでのどかな光景が広がっていたという。五反田駅が開業したのは、それから3年後の1911年のこと。品川や大崎に比べて、やや立ち遅れた場所だったのだ。

 その五反田に、なぜ夜の街のイメージが定着したのか。「原点は大正末期に五反田周辺で発見された鉱泉です」と話すのは、まち探訪家の鳴海行人氏だ。

「鉱泉の影響で温泉旅館が開業し、同時に“花街”としても発展していった歴史があります。現在の歓楽街のイメージは、花街由来のものですね」(鳴海氏)

 急激に人口が増加したのは1920年代以降のことだ。花街として栄えようとしていた矢先に関東大震災が発生し、壊滅的な打撃を受けた品川や渋谷から多くの人が五反田に流れてきた。これが“街”としての本格的なスタートとなった。

「その後、第二次世界大戦が勃発し、焼け野原になった五反田には、終戦後に大きな闇市ができます。花街が醸成した歓楽街の要素に加え、雑多で怪しげな現在の五反田のイメージは、この戦後の闇市の存在が大きく関係していると思われます」(同)

 こうした歴史を持つ街は五反田だけではない。新宿や渋谷も闇市から発展していった街で、現在もその面影が残る場所がある。それではなぜ、五反田は新宿や渋谷のようにはならなかったのだろうか。

「渋谷は都市開発が進められ、新宿にも大規模な区画整理が入ったので、いずれもターミナル駅として交通網が発達しました。一方、五反田は新宿や渋谷に比べて街としての規模が小さいため、そこまで大きな開発や区画整理が行われなかったのです」(同)

 つまり、五反田には外部の力を借りず独自に街を発展させていった経緯があるわけだ。少なくとも、「その可能性が高い」と鳴海氏は分析する。

「隣駅の大崎には工場が多くあり、そうした工場に融資するために金融機関が進出したのが五反田でした。それにともない五反田駅の利用者が増え、銀行員が接待に使う飲食店やキャバクラ、いわゆるブルーワーカーが息抜きに使う風俗店が集中するようになるのです。オフィス街であり夜の街でもある猥雑な五反田のルーツは、そこにあるのかもしれません」(同)

ITベンチャーに人気のワケ


 その五反田で、近年起きている変化がベンチャー企業の増加だ。象徴的なのは、五反田駅西口から徒歩数分の場所に、中小企業向けのクラウド会計ソフトを開発するfreee(フリー)が進出したことだろう。ほかにも、飲食店の予約台帳・顧客台帳サービスを展開するトレタなど、数々のベンチャー企業が五反田に本社を移している。

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