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小室圭さん一家バッシングと、皇室内部の“皇室近代化”への反発

構成=兜森衛
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『皇室タブー』著者の篠田博之氏

 5月1日、皇太子さまが第126代天皇に即位されたことで、元号は「平成」から「令和」へと改元された。ゴールデンウィークが10連休となって、メディアの報道も祝賀ムード一色となった。

 都心では右翼の街宣車も見かけたが、特に大きな騒ぎといえるものはなかった。が、あえて挙げるとすれば、新天皇の即位に先立ち4月30日に行われた「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相が「国民代表の辞」として行ったあいさつだろうか。

「天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません」の最後の部分を「いません」と誤読したのではないかと物議を醸したのだ。「願っていません」では意味が180度違う。「昔なら切腹もの」などという声も上がり、右翼団体の一水会が公式ツィッターに「潔く字を間違えたことを認め不見識を謝罪せよ」と投稿した。

 しかし、後に首相官邸がツイッターで否定し、それ以上の騒ぎにはならなかった。安部首相だからこの程度で済んだが、同じような事をメディアがやれば「笑い話」では済まなかったはずだ。それらは長きにわたり、「菊のタブー」や「皇室タブー」と呼ばれ、昭和から平成にかけての出版メディアが呪縛に囚われてきた。

 月刊誌「創」(創出版)の編集長として知られる篠田博之氏が7月末に上梓した『皇室タブー』(同)は、実際に起きた数々の事件の経緯をたどることで、時代とともに「皇室タブー」がどのように変遷してきたのかを明らかにすると同時に、象徴天皇制や皇室の近代化についても問題を提起しようという、一貫してメディア批評を取り上げてきた「創」の篠田編集長にしか書き得ないテーマの本だ。篠田氏に、執筆の動機や皇室タブーの変遷について話を聞いた。

風化する「皇室タブー」の今

――なぜ『皇室タブー』を書こうと思ったのですか?

篠田博之氏(以下、篠田) 前から書くことは決めていました。ただ、いろいろ調べなければいけないし、時間がなかなかとれなかったので、このタイミングになってしまったのです。30年前の代替わりのときは、象徴天皇制とは何かみたいなことを『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)とかでもやりましたが、そういう議論が今回ほとんどないのはどうしたことなのかなと。だから、こういう問題もありますよ、ということを書いて問題提起しようと思ったのです。

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『皇室タブー』(創出版/篠田博之)

――30年前と比べて、今はどう変わったと思いますか?

篠田 あの頃は昔の天皇制のイメージをまだ引きずってる時代だから、そういう問題を議論しようという機運があったんだと思います。今回はお祭り騒ぎだけというのは、あまりにもひどすぎるのではないか。昭和天皇のご病気のときは「玉体」という発言問題も起きたし、いろんな議論になったのは確かです。でも、病状発表についても具体的な数値が発表されたりして、やっぱり天皇も我々と同じ人間なんだと、そういうことを意識した時代だった。

 自粛ムードの問題もあったけど、皇室タブーの意識はみんなが持っていたし、代替わりについてもきちんと議論しなくちゃいけないという意識も多少はありましたよね。それが、タブー意識がなくなったこともあるんだけど、問題意識そのものがなくなっちゃったみたいですよね。

『皇室タブー』 改元と天皇の代替わりがお祭り騒ぎだけで終わろうとしている状況下で、象徴天皇制について改めて考える。1961年、右翼少年による刺殺事件が出版界を恐怖に陥れ、深沢七郎さんの小説「風流夢譚」は封印された。その後50年を経て、封印は解かれつつあるのだが、果たして出版界は皇室タブーの呪縛から逃れられているのだろうか。皇室を扱った表現がその後も回収や差し替えにあっている現実をたどることで何が見えてくるのか。 amazon_associate_logo.jpg

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