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三浦展「繁華街の昔を歩く」

「愛されない街」を量産する行政とディベロッパーを批判する…感覚的な満足感への配慮欠如

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表
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『愛される街』(三浦展/而立書房)

 私は5月に『愛される街』(而立書房)という本を上梓した。過去3年ほどの間に受けたインタビュー、書いた原稿から、街に関わるものを集めたものだ。

 本書をまとめようと思った直接のきっかけは、日本マーケティング協会の機関誌『マーケティング・ホライズン』で受けた「愛される街」というテーマでのインタビューである。旧知のベテラン新聞記者が協会の役員になり、機関誌で「愛される街」という特集をするので、巻頭インタビューをしたいと、私を訪ねてこられたのである。私はかねてより都市、郊外、街というテーマで発言、執筆してきたので、ご依頼をお受けしたが、マーケティング雑誌で「愛される街」というテーマを掲げるのは珍しいことではないだろうか。

 だが考えてみれば、マーケティングというのは消費者に愛される商品を考えるのが仕事である。だからマーケティング雑誌が「愛される街」を考えるというのは、商品と同様、街にもマーケティングが必要な時代が来たということを意味する。

「商品」と書いたが、言うまでもなく現代では「品(しな)」、つまりモノだけが商品であるわけではない。ディズニーランドも商品であり、京都も商品である。モノからコトへ、と言われるが、街、空間という、モノとコトの巨大な集合体が商品として愛される時代が実はかなり前から定着してきた。

 だが、普通の街はテーマパークではないし、京都のような古い歴史を持った、日本人なら必ず一度は訪れる観光地でもない。だから、これまでは普通の都市、普通の自治体は、街を愛される対象としてあまり考えてこなかった。

 もちろん住民に長く住んでもらう、愛着を持ってもらうということは考えていたが、そのために打たれた施策は、住宅や道路や公園緑地の整備とか、医療・福祉施設や教育・文化施設の充実とか、商店街振興のためのアーケード整備とか。駅前の再開発とタワーマンションの建設といったハードの整備が中心だった。

ソフトの不足

 そこにはソフトが不足していた。人間の感覚的な満足感への配慮が足りなかったともいえる。百貨店もないし、古くて何もない街だけど、なんだか心地がよいとか、駅前はパチンコ屋と焼鳥屋くらいしかないけど、帰ってくるとほっとして、ついついその焼鳥屋に入ってしまうとか、そういう毎日の暮らしの中で無意識に感じている安心感、心地よさ、癒される感じなどが、街の整備にはなぜか不足しているのだ。

 というより、むしろそういう感覚を破壊するような開発が行われることのほうが多い。ガラス張りの新しいビルがあるのが快適だとか、道路の幅を広げて街灯を明るくすれば安心だとか、駅前に広場を造れば癒されるだろうとか、そういうハード発想なのである。

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