死んでも借金を返せ、人を殺しても返せ
今の日本学生支援機構の奨学金は借金です。学生、大学院生、研究者の約半数が奨学金を借りざるを得ず、借金漬けにされている実態があります。借金を返済するのが社会の道徳であり、「金を返せなかったら人でなし」との烙印を押されます。
奨学金は、学生を借金漬けにしておいて、「借金は必ず返せ。返すために死んでも働け」 と債務者を追い込むのです。死んでも働けという言葉には、ブラック企業に入っても耐えて働いて返せといった意味も含まれます。
借金漬けにされた人は、まるで奴隷のように扱われています。借金を返すためにブラック企業で働くという構図は、「債務奴隷化」といってもいいでしょう。
債務奴隷化もひどいですが、それに加えていま問題となっているのは、経済的に苦しい若者が自衛隊に入らざるを得ない「経済的徴兵制」です。「ブラック企業で働け」という言葉が「死んでも働け」という意味なら、経済的徴兵制は「人を殺しても借金を返せ」と言い換えられるのではないでしょうか。安全保障法制が施行され、自衛隊を紛争地に派遣することが合法になったのですから、リアリティのある話です。
「人を殺しても借金返済のために働け」などと、人として絶対に言ってはならないことが言われているのが現状だと思います。
ここまでひどい状況に追い込まれているのだから、多く人が声を上げることが大事だと思います。ただ、奨学金というカネがからんでくると、これをなかなか言えなくなってしまいます。それは社会の道徳として、「借りたものは返せ」という概念が定着しているからです。
最初は、「借りたものは返さなければならない」と、渋々返します。がんばって返せば返すほど、返していない人が憎くなってきます。このような状況がさらに進むと、「たくさん借りて返せる人が偉い」などと歪んだ考え方が広がっていきます。たとえば、定職を持ちマイホームを購入し、35年ローンを毎月きちんと返すのは、社会人として偉いとの評価を得ます。しかし、これは債務を負っているだけです。
人の思考というのは恐ろしく、がんばって返済を続けていくと、「金を借りて返すのは当然」と考えるようになってしまうのです。「それは社会の常識だ」と言われるかもしれません。しかし、そもそも圧倒的多数の人々が膨大な借金をし、それを返済するために甚大な労力を費すという、いわば社会全体が債務奴隷養成工場になっていることは、おかしいと思いませんか。