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小林敬幸「ビジネスのホント」

トランプ米国「日本叩き」と中国にハメられる日本…おぞましく悲惨な日米貿易摩擦再来か

文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者

 その後、自動車については、1995年に政府間合意ではなく民間の自主規制という立て付けで、実質的に自動車部品の輸入量の数値目標が導入された。全体の数値目標を自動車各社に部品ごとに数字を割り振って、それぞれの達成度を定期的にチェックしていくことになる。自由経済を標榜するアメリカからのほぼ恫喝により、計画経済を強いられるのは、悲しみを通り越して喜劇に見えてきた。

アメリカ世論の日本叩きの怖さ

 日米経済摩擦は、古くは70年代から、アメリカの巨額の対日貿易赤字と不況による高い失業率を背景に強まっていった。とはいえ、しょせんはニューヨークやワシントンなどの大都市の政府、産業界、言論界での話題だった。

 90年頃、経済交渉がかくも苛烈で理不尽なかたちでなされたのは、中西部や南部の非都市部の田舎の人たちが「日本叩き」に加わり、社会現象になっていったからだろう。その背景には、89年に冷戦に勝利したにもかかわらず、自分たちの暮らしはよくならないという国民の実感がある。「次の敵は誰だ」とその犯人捜しをする庶民の目に、身近で一番目立っていたのが日本だった。

 そうして、産業界の実利確保戦術から始まり、東西海岸沿いの大都市の口の立つ人たちのから騒ぎを経て、寡黙な田舎の人たちの地の底からくるような怒りを込めた活動になってしまった。

 この点では、今のアメリカの「イラクに勝って、自由と民主主義を広めてきたのに、自分たちの暮らしはよくならない」という状況に通じるものがある。そして、トランプ氏は、その田舎の人たちの怒りの矛先をむける敵を次々と提示して、大統領に当選した。

 私は91年に、日本人がほとんどいないテキサスの田舎に数カ月住んだことがある。日本叩きの集会がしばしば行われており、好奇心ゆえに私が行こうとするのを、アメリカの友人が「身の危険がある。行かないでくれ。それでも行くというなら俺も行く」と泣かんばかりの顔で止めてくれたりした。数少ない日本人の一人は、駐車していた自分の車のフロントガラスに「JAP. Go home!」と落書きされ、「この韓国製の車が僕のものだと知っている人が書いたと思うと、なおさら怖い」言っていた。

 テキサスに住む前後に、中西部のコロラドや西海岸にも住んでみたが、そこではアメリカ人が日本食を食べ、人種の違うカップルが手をつないで街を歩いていた。しかし、南部の田舎町では、まだ人々の考え方は昔から変わっていないように感じられた。

小林敬幸/『ふしぎな総合商社』著者

小林敬幸/『ふしぎな総合商社』著者

1962年生まれ。1986年東京大学法学部卒業後、2016年までの30年間、三井物産株式会社に勤務。「お台場の観覧車」、ライフネット生命保険の起業、リクルート社との資本業務提携などを担当。著書に『ビジネスをつくる仕事』(講談社現代新書)、『自分の頭で判断する技術』(角川書店)など。現在、日系大手メーカーに勤務しIoT領域における新規事業を担当。

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