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なぜ「仲人・お見合い結婚」は消滅したのか?日本の伝統文化だった夜這いの風習

文=沼澤典史/清談社
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「gettyimages」より
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 近代以降、日本で盛んだった「お見合い結婚」と「仲人」という文化は、今や衰退してしまった。未婚率が高止まりし、少子化が進んだ原因のひとつという意見もあるが、なぜ「仲人」は消えたのか。仲人衰退が示す日本の家族、結婚像などの変化を、『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』(青弓社)の著者で大妻女子大学人間関係学部准教授の阪井裕一郎氏に聞いた。

仲人よりもポピュラーだった「夜這い」

 仲人といえば「結婚する男女の仲立ち人」というイメージが一般的だろう。しかし、言葉は知っていても、実際にどのような歴史があり、どんな役割を果たしていたのかは謎が多い。特に若年層にとっては、仲人の存在は都市伝説級に実態が見えないものだろう。

 衰退の一途をたどってしまった仲人について研究を重ね、仲人を軸に近・現代における日本の家族観の変容までをも追ったのが同書だ。仲人というテーマに注目したきっかけを、阪井氏はこう話す。

「もともと日本の家族や家制度をテーマに研究していたのですが、昭和の頃までの結婚には仲人が多く登場します。しかし、仲人に関する研究はほとんどなかった。さらに調べていくと、『死ぬ前に一度仲人をしたい』『仲人をするのは社会人の義務』などという、当時の人々の仲人に関する発言や記事が出てきた。そこで、なぜこれほど仲人に価値が置かれていたのかを、本格的に研究しようと思ったんです」(阪井氏)

 阪井氏によれば、仲人は太古から続く日本の伝統文化ではないという。仲人を立てる結婚形式は、江戸時代には人口の5%程度にすぎない武士階級に限られ、1877年(明治10年)頃までは庶民に浸透していなかったという。

「明治以前の村落社会では仲人や見合いという慣習は浸透しておらず、代わりに行われていたのが『夜這い』の風習です。夜這いは鎌倉時代に定着したといわれ、むしろこちらの方が日本の伝統文化といえます。また、こうした共同体では、結婚の仲介には『若者仲間』や『若者連』といった青年男子の集団が関わっていました。こうした若者同士による交際や結婚の自由度は、後に広まる仲人や見合い結婚よりも高かったといわれます。もちろん、村落共同体の規律の範囲内だからこそ許されていたという側面もあります」(同)

仲人を立てない結婚は「野合」だった

 仲人の媒介による結婚が広く浸透するのは近代化以降で、その過程において、夜這いなどの婚姻風習は「野蛮」という烙印を押されるようになる。

「武家社会の儒教道徳を基盤とする教育勅語が制定される中で、政府は家族主義を重視し、仲人を媒介とする結婚を規範としました。儒教的な家族道徳により、父母の発言力が増し、個人よりも『家』が重視されていく中で、若者同士の自由な結婚は非難されていきます。そして、両家に『社会的な承認を与える』という仲人の役割が重要とされたのです。それに伴い、夜這いは野蛮とされ、仲人のいない結婚は『野合』とみなされていきます。つまり、武家社会で確立していた仲人という『伝統』が近代化を進める中で再発見され、国家統治に『活用』されたわけです」(同)

『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』 1990年代まで「結婚」や「家」と密接な関わりがあった仲人は、どのように広まり定着したのか。また、なぜ衰退して現在では見られなくなったのか。 amazon_associate_logo.jpg

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