不倫にハマる大手新聞社社長…ホテルのスイートでシャンパン
●2人だけの「密室」
タクシーを降りた松野はドアボーイに手を上げ、ホテルに入った。定宿している21階の2107号室は「リバーサイドスイート」という部屋だ。
ホテルには「エグゼクティブスペース」という大企業の経営者や上級管理職の宿泊客を対象にしたフロアがあった。22階、23階である。その「プルーデンシャルスイート」(150平米)と「インペリアルスイート」(200平米)に比べると、90平米の広さの「リバーサイドスイート」は見劣りするが、書斎兼リビングルームと寝室・バスルームが完全に仕切られ、部屋に来客も迎えられる造りになっている。
部屋に入ると、正面の窓と左手の窓の下にソファー、ガラス製のセンターテーブルがある。ソファーは3人がゆったり座れる長さがあり、左手の窓側には1人用のボックス席もある。右手の寝室との境の壁にはミニバーと冷蔵庫があり、その手前が寝室に入るドアである。ドアを挟んで手前の壁には大型の液晶テレビがセットされている。中央には2人用の木製の食事テーブル、その脇には寝ころんでテレビを見られる寝椅子が置かれている。そして、左側の窓を背にして執務用のデスクと左手の廊下側の壁にクローゼットがある。
寝室のベッドルームは窓側で、ツインベッドと、リビングとの境の壁にテレビが掛かっている。ベッドに寝ころんで外の眺望やテレビを楽しめるのだ。そして、ベッドルームの廊下側には2人で入るのに十分な広さのバスルーム、大きな鏡のついた洗面所、トイレがあった。そこはまさに2人だけの「密室」だった。
松野は部屋の明かりを灯した。正面の窓に林立するビルの間に見え隠れする隅田川に跳ね返る光が煌めいた。しかし、彼の眼底にそんな夜景が画像を結ぶことはなく、飛びつくように執務用デスクの受話器を取った。
「大都新聞の松野だが、今、部屋に戻った。すぐに夕方頼んだシャンパン、オードブル、サンドイッチを持ってきてくれ」
「かしこまりました」
「どれくらいで持ってくる?」
「はい、十分以内にお持ちできると思います」
「よし、わかった」
ルームサービスへの電話を切ると、背広の胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「かやちゃん、部屋に着いた。15分後に来てね。部屋はいつもの2107号室。弥介」
花井香也子(はないかやこ)の携帯にメールを送ったのは、午後9時40分だった。
●手の込んだ“もてなし”
松野はハミングしながら執務デスクに置いたブルガリのビジネスバッグを開け、ラルフローレンのオードトワレ「ポロ・ブラック」を取り出した。ネクタイを外し、背広の上着を脱ぎ、入口の手前にあるクローゼットのハンガーに掛け、中央の寝椅子に座った。ズボンのベルトを緩め、ワイシャツをたくしあげ、首の周りから下腹にかけ「ポロ・ブラック」を付けた。そして、テレビをつけ、チャンネルをいくつか回したが、いずれも番組の途中でスイッチを切り、たくし上げたワイシャツを元に戻し、ベルトを締め直した。
その時、ドアをノックする音がした。ボーイがワゴンを押して部屋に入ってきた。
「どちらにお持ちしましょうか」
「奥のソファーの前のテーブルに置いてくれ」
ボーイはガラスのテーブルの中央にサンドイッチの皿を据え、その両脇にメロンに生ハムを乗せたオードブルの皿と、ワインクーラーに入ったシャンパンのボトルを置いた。
「シャンパングラスはおいくつセットしましょうか」
リビングの中央の寝椅子に腰掛けて見守っていた松野のほうを振り向き、ボーイが尋ねた。
「そうだな。3つ用意してくれるか」
ボーイは黙ってソファーの前にシャンパングラス、それにナイフとフォークを包んだ紙ナプキンを3つずつ並べた。
「シャンパンは最高級のものを、って頼んだが、銘柄はなんだね」
「ドン・ペリニヨンでございます」
「『ドンぺリ』のことか」
「さようでございます」
「そうか。それはよかった」