財務省の強大な権限の喪失
80年代から今日にいたるまで、財務省の組織的な課題は、財政再建であった。その組織目標を個々の官僚が身を挺した犠牲をも厭わず追求してきた。これ自体は、まさに国益であり、財務省という組織の本源的存在意義なので、なにもやましいものではない。
そしてこの間、2度の非自民党政権も含めて極度に流動化した政治をみながら、組織的に粘り強く、ときには機をみて果敢に財政再建に向かう政策を通してきた。消費増税が典型的な例だ。政権の様子をみて関連法案を通せるときには、何がなんでもがむしゃらに通してきた。
しかし、個々の政策が実施されたタイミングは、最悪になってしまった。それは、流動的な政治の波間を縫って、増税の政策を通すことだけに集中し、流動的に変化する経済の状態をみずに政策を実施してしまったようにみえる。まるで政治は流動的だが経済は岩のように固定的で、「良い」ことはいつやっても「良い」のだという前提を置いているかのように。
財務省の歴史を振り返ってみれば、80年代までの高度成長期においては、インフレと高成長により莫大な税の自然増収があるので、バラマキ予算が実施できた。社会福祉や公共事業の予算を膨らませながらも毎年のように減税をしても、財政の黒字を保てた。そこでは、個々の経済政策に軽重をつけて大盤振る舞いできる財務省が、対政治家においても対他省庁においても、圧倒的な力を持っていた。その場合、大蔵省が経済政策の総合調整機能を果たしていたといえるだろう。
しかし、80年代に低成長期となり税の自然増収がなくなると、予算配分もままならない。特に80年代に行われた、各省の予算伸び率を前年比ゼロにする「ゼロシーリング」の導入は、予算編成における財務省の強大な権限の喪失を意味した。たちまち政治家や他省庁が言うことをきかなくなったのを、財務官僚は肌で実感したことだろう。
安定的な税収の確保は国益であり、組織の存在意義でもあるとともに、自分たちの職業的ステータスの基盤でもあったのだ。
経済政策の総合調整機能を担うに足る能力も失う
そこで、安定税収の確保、つまり消費増税を悲願として、政治の状況を小まめに観察して、通せるときには一気に通すスタンスをこの30年取り続けた。それが、すべて経済政策としては裏目にでてしまった。税収確保のために政治的変化の洞察に集中するあまり、経済もまた生き物で日々流動しており、あらゆる経済政策において「タイミングがすべて」であることを組織的に無視し忘却してきた。