江川紹子が見る「清水富美加・出家騒動」――メディアは芸能界の労働事情とは切り離した報道を
また、元信者が約2億円の献金を強要されたとして、幸福の科学を相手取って損害賠償請求を起こし、原告代理人の弁護士が記者会見を行った際には、教団側は弁護士に対し、8億円という巨額の損害賠償を求める訴訟を提訴。弁護士側は「不当な訴えだ」として反訴を提起して応戦した。
東京地裁は、幸福の科学側の訴訟は「批判的言論を威嚇するための提訴」と断じて退け、「言論を威嚇する目的で起こした高額訴訟は違法」として弁護士に100万円の支払いを命じた。教団側は控訴、さらに上告までして争ったが、判決は最高裁で確定している。批判をする者を法外な請求で恫喝する、典型的なSLAPP訴訟(恫喝訴訟)であった。
また、大川氏の「霊言」など教団の教えに基づく大学の設置を計画したが、文部科学省の大学設置・学校法人審議会は、開設を「不可」とする答申を出したため、頓挫。そればかりか、この審議の過程で教団側から不正な行為があったとして、5年間は大学などの設置が認められないことになった。
同審議会の答申などによれば、教団は大学新設に関する大川氏の本を審議会の委員に次々に送り付け、その中には下村博文文科相(当時)をこき下ろす「守護霊インタビュー」など、今回の大学設置認可に関係すると思われる人物の“守護霊本”が複数含まれていた。
答申は、教団側の一連の行為について、「通常の審査プロセスを無視して、認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為が行われた」「大学設置認可制度の根幹を揺るがすおそれのある問題である」と強い不快感と危機感を示した。これに対し、教団側は「学問の自由、信教の自由を侵害している」と相次いで反論の書面を公表した。
ちなみに、この大学開設計画に関連して、信者である神奈川県座間市の元中学校長が、在職中に入手した生徒名簿を流用して、大学受験を控えた卒業生ら約500人に幸福の科学大学を勧める手紙や大川氏の本を送り付け、問題になった。元校長を呼んで厳重注意した同市教育委員会について、教団側は「左翼史観だ」と非難した。
自分たちの「大きな善」を阻むものは「悪」という価値観で一貫しており、「大きな善」の実現のためには逸脱した手段も辞さない。そして、その手段が批判されても、自らを省みることはないようである。なにしろ、教祖や教団は絶対善なので、非を認めるということができないのだ。
芸能界の問題と混同してはいけない
今回の、契約を反故にして多くの人に迷惑をかけることが些末であるかのような対応も、この一貫した路線にあると言える。
清水さんはすでに、こうした独特の価値観に支配された教団のいわゆる「広告塔」である。今回の“告白本”も含め、興味本位で彼女の言動を取り上げることは、教団の広報・宣伝に寄与することになりかねない。今回の出来事で生じた損害について、清水さんや教団側がどう対応するのかなど、気になる点はあるし、今後報じる機会もあるだろうだが、マスメディア、特にテレビのワイドショーは、その取り上げ方について、よくよく注意してほしい。
それから、教団は清水さんと所属事務所と契約は「奴隷状態」であるとし、芸能界のあり方が問題なのだ、と主張している。そのような芸能界から、教団は居場所を提供したにすぎない、ということのようだが、芸能界のあり方と教団に関する懸念は別次元の問題だ。
オウム真理教の場合も、「無理解で抑圧的な家庭」から逃れて、教団に「出家」したというケースが多々あった。家庭で親子や夫婦の間でなんらかの問題を抱えていたからといって、オウムの価値観やそれに基づく活動が正当化されるわけではない。悩み多き家庭から離脱して行った先がオウムというのは、実に不幸なことであった。
二つの教団を同一視するつもりはないし、芸能界のあり方には、それはそれで疑問を感じるにしても、メディアで清水さんの「出家」を論じる時には、二つの問題を混同して語るのはやめた方がよい。(文=江川紹子/ジャーナリスト)