保育園の子どもの声がうるさい
「寛容性」の欠如に伴って、これまでまったく問題になることのなかったことが問題化するようになった。幼稚園や保育園の近くに住む人が「子どもの声がうるさい」というクレームを出すようになったのもそのひとつだ。2014年9月に東京都が発表した調査結果では、都内のおよそ7割の市区町村で、保育園などに子どもの声に対する苦情が寄せられているという。子どもの声が騒音だというわけだ。
この騒音問題に対して保育園側は、子どもの声が周辺住民に迷惑をかけないようにと、外遊びの時間を制限したり、苦情があれば園庭に出さないというルールをつくったりという対応を取っているというのである。何かに集中している時など、うるさいと感じることはあったにしても、かつてはそれに対して役所などにクレームを付けるという発想はなかったであろう。そもそも、将来を担う子どもたちは社会全体で育てていくのが当然という考え方が共有されていたはずである。
それが受け入れられない、許せないという社会になってきている。寛容性を失ってしまったのだ。自分が嫌なことは嫌で、相手を変えようとする。あるいは、自分と違う考え方や価値観を受け入れられない。相手が間違っているから、相手が変わるべきだという発想なのだ。世の中、自分の思い通りにならないことはいくらでもある。しかし、それが許せない。かつては自分も子どもだったり、子育てをしたりしていたはずなのに、子どもや子育てをする親という自分と立場の違う人たちへ共感できなくなってしまっているのだ。
少し前に、「ジャポニカ学習帳」の表紙から昆虫の写真が消えたということもあった。1973年からそうした写真の掲載が続いてきた伝統のある学習ノートだが、昆虫の写真に対して、保護者や教師からクレームが寄せられるようになり、昆虫が表紙になっているノートの生産数量を徐々に減らされ、2012年、表紙から昆虫の姿は見られなくなった。学習ノートは他にいくらでもあるわけなので、他のノートを使用するという選択肢は常にあるわけだ。にもかかわらず、クレームを付けずにはいられない。「寛容性」の欠如と共にクレーマー的な精神構造を持つ人が増え、クレーム社会と化しつつあるのだ。