ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 歴史学者が考察「眞子さまへの思い」
NEW

歴史学者が読み解く「眞子さまへの思い」…秋篠宮ご夫妻はなぜご結婚を取り消されないのか

文=小田部雄次/歴史学者
【この記事のキーワード】, ,
歴史学者が読み解く「眞子さまへの思い」…秋篠宮ご夫妻はなぜご結婚を取り消されないのかの画像1
2007(平成19)年12月1日、愛子さま6歳の誕生日に際して発表された秋篠宮ご一家の写真。後列左より紀子さま、佳子さま、秋篠宮さま、眞子さま。前列の乳母車のなかは、当時1歳になったばかりの悠仁さま。(写真:Getty Images)

 2021年9月11日、秋篠宮文仁親王妃紀子さまが55歳の誕生日を迎えられ、宮内記者会の質問に対し文書を発表された。

 注目されたのはやはり、長女である眞子内親王のご結婚に関して。文書最終部で紀子さまは、「長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております」などと語られ、先に報じられた眞子さまと小室圭氏との「年内結婚」を、基本的には追認なさる方向であろうとの報道が相次いだ。

 その「眞子さまと小室圭氏、年内にご結婚へ」の報が駆け巡ったのは、この9月1日のこと。ご結婚後はアメリカで暮らすご予定とのことで、各メディアはこれを「駆け落ち婚」などと騒ぎ立て、紀子さまによる上記の文書もそれを受けてのものだったわけだが、そもそも秋篠宮ご夫妻はこれまでも、自身の誕生日に行われる記者会見ないし文書発表などによって、折に触れて「お言葉」を発せられてきた。

 秋篠宮文仁親王のお誕生日は11月30日。紀子妃のお誕生日は9月11日。ちなみに眞子内親王のお誕生日は10月23日、佳子内親王のお誕生日は12月29日である。つまり秋篠宮一家のお言葉は、秋から冬にかけて世に発せられることが必然的に多くなる。

 2017年9月3日に眞子さまの婚約発表がなされてから4年。秋篠宮夫妻のお言葉から垣間見える「お気持ち」について、日本近現代史が専門で近代皇室史にも詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授に読み解いてもらった。

【確認中】歴史学者が語る「明治の御代の“女性宮家”」…明治天皇の4人の娘たちに見る内親王の結婚の画像4

●小田部雄次(おたべ・ゆうじ)
1952年生まれの歴史学者で、静岡福祉大学名誉教授。専門は日本近現代史。皇室史、華族史などに詳しく、著書に『皇族―天皇家の近現代史』(中公新書)、『肖像で見る歴代天皇125代』(角川新書)、『百年前のパンデミックと皇室』(敬文舎)などがある。

**

 眞子さまが小室圭氏と結婚するという。納采の儀などは行わず、一時金も辞退して、アメリカで生活するらしい。しかし、これで一件落着と思う人は少ないだろう。多くの国民は、長年の国民の懸念の声を黙殺したこの決着に、眞子さまのみならず、宮家や宮内庁への不信感を募らせている。一部には秋篠宮家への皇位継承を疑問視する声もある。かつて「眞子さま萌え」とまで叫ばれた人気の内親王が、ここまで国民感情を逆なでするようになるとは、誰が想像しただろうか。

 始まりは、今から4年前の2017(平成29)年9月3日であった。26歳の誕生日を翌月にひかえていた眞子さまが、結婚内定を発表したのである。お相手は、今まであまり国民には知られていなかった小室氏。ICU(国際基督教大学)在学中の同級生で、大学時代から交際が続いていたという。26歳はそれほど遅い婚期ではないが、記者会見でのお2人は、緊張もあってか、やや幼げに見えた。とはいえ、「天皇陛下もお許し」になり、「秋篠宮ご夫妻もお認めになった」という婚約内定発表に、表立って異議を唱える人は少なかった。

 その後、小室氏の母の借金問題が話題となったときも、母親の借金の責任を子どもに負わせるのも酷ではないかという声もあった。さらに、小室氏の過去の私生活が細かに追跡され、破廉恥な行動をかなり重ねてきたことも暴露されていった。それでも結婚前の私生活をほじくる動きには賛否両論あった。

 国民感情を決定づけたのは、多くの国民がコロナ禍のなかで、失業したり、結婚や出産を躊躇したりしている状況で、眞子さまが「結婚は生きていくために必要な選択」と主張したことだろう。それは確かに結婚相手がいながら、なかなか結婚できないことへの切実さがあった。ただ、多くの国民は、小室氏をめぐるさまざまな報道の真偽と、小室氏の正確な事実の説明を聞きたかったのだが、そうした本題にはまったく触れず、さまざまな疑惑に対してもなんの説明も聞けなかった。次代の天皇の娘であり、さらには次の天皇の姉となる内親王のこうしたふるまいに、多くの人々はショックを受けた。

当初は肯定的に語られていた眞子さまのご結婚…「真面目な人」という小室圭氏への第一印象

 眞子さま婚約発表前年の2016(平成28)年11月、秋篠宮さまは誕生日の記者会見で、眞子さまの結婚について、こう述べている。(以下、会見記録の引用は宮内庁HPによる/基本的に原文ママ)

「考えてみますと私たちも比較的若くて結婚して、今の長女の年齢の時には、つまり私が25歳の時に長女が生まれていますし、それから3年後に次女が生まれています。それで今、もうじき51歳ですが、比較的自分が若いうちに子供もある程度の年齢になっていることから、何と表現していいのか分かりませんけれども、ある意味大人としての話を楽しむことができているように思います。これは悪いことではないなと思います。ただこれは人それぞれ考えも違いますので、私は結婚については娘たちの意思をできる限り尊重したいなと思っております」

宮内庁HP「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成28年)」より

 秋篠宮さまは、眞子さまの年齢には、すでに結婚していて眞子さまをもうけていたことを述べ、暗に早い結婚を肯定していたし、また本人の意思の尊重も語っていた。このとき紀子さまも、「結婚については、娘たちの気持ちや考えを大事にしたいと思います」と語った。

 翌2017(平成29)年に眞子さまの婚約が内定し、恒例の誕生日の会見では、小室氏と2013年ごろにすでに会っていたと語った。

「多分、2013年ぐらいかと思いますけれども、そのときが、初めてになります。そのときの印象は、大分その、緊張していたということもあったかもしれませんけれども、非常に真面目な人だというのが第一印象でした。そして、その後も何度も会っておりますけれども、その印象は、変わっておりません。また、娘のこと、娘の立場もよく理解してくれていると思います」と、かなり好意的だった。

宮内庁HP「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成29年)」より

 また同会見では記者の「結婚後、どのような家庭を築いてほしいとお考えですか」という問いに、「どのような家庭というのも、なかなか、私から言うのも難しいですけれども、本人たちが幸せだと思う家庭であれば、それでいいなと思います」と述べ、紀子さまを見て「どうでしょうか」と話題を振った。

 紀子さまは、「初めの印象についてですが、初めてお会いし、話をしましたときに、丁寧で穏やかな印象を受けました。そして今も、同じような印象を持っております。先日になりますが、小室さんのピアノを聴きたいと話をしましたところ、快く応じてくださり、小室さんの優しいピアノの音色を聴きながら、私たちは心和むひとときを過ごしました。これから、二人が歩み、築いていく生活が幸せであるよう、心から願っております」と述べた。

 さらに記者から、「両陛下からは、どのようなお言葉を」と問われ、秋篠宮さまは、「そうですね。両陛下からは、おめでとう、良かったねという趣旨のお言葉がありました。大変うれしそうなご様子でした」と答えた。また、紀子さまも「両陛下は、長女の眞子が初めての孫であり、大切にお見守りくださり、結婚する相手に会ったことを、大変お喜びくださりました」と答えている。平成の両陛下が喜ばれ、同意されたと語ったのである。

歴史学者が読み解く「眞子さまへの思い」…秋篠宮ご夫妻はなぜご結婚を取り消されないのかの画像2
2014年1月2日、皇居での新年の一般参賀のようす。写真左より秋篠宮さま、紀子さま、眞子さま、三笠宮の彬子さま(写真:Getty Images)

眞子さまが皇籍を離れてからも、「皇族としてできることをやっていく」という秋篠宮ご夫妻の決意

 また同会見では、「皇籍を離れて、皇族が減少することについては、いかがですか」との問いに、秋篠宮さまは、こう述べていた。

「今の制度では、女性の皇族が結婚をすれば、皇籍を離れることになります。一方で、皇室の中で、女性の占める割合が非常に多いわけです。結婚して皇籍を離れるというのは、制度の問題ですので、そのことについて、私が何か、ここで言うことではないと思います。よくその、皇族の数が少なくなると、いろいろ活動に支障が出るのではないか、ということを耳にすることがあります。しかし、それぞれの皇族の活動の中で、もちろんその、共通、共通というのは同じという意味ではなくて、皇族としてのその仕事を、何と言いましょうか、例えば、ある行事に出席する、宮中の行事に出席するとか、その他もろもろあるわけですけれども、それ以外に、かなりの部分で、個人に帰属しているものも多いですね。そのことを考えますと、これは飽くまで、個人に帰属してしまいますので、仮に人数が減少したとしても、そこには、その点に関しては、それほどの影響は出ないのではないかと思います。先ほども申しましたように、これは、今の制度では少なくなっていく、これは、そのとおりなわけですけれど、私は、以前もお話ししたかなと思いますが、やはり現状では、その人数の中で、できる範囲、できる仕事をしていくのが、適当ではないかと思っております」

 紀子さまも、「長女が結婚しましてからも、(私は、宮様とご一緒に)お互いに健康に気をつけながら、期待される皇族としての大事な務めや、さまざまな活動を、心を込めて努めてまいりたいと思います」と答えたが、秋篠宮さまが「これは、あなたがですね」と念を押し、紀子さまは「はい。私たち、そうですね」とうなずいた。眞子さまが皇籍から離れても、自分たちはがんばるという意味だったのだ。

眞子さまのご結婚延期が決定し、次第に膨らんでいった父子、母子の間の“わだかまり”

 この後、眞子さまと小室氏の結婚が延期され、2018(平成30年)年の誕生日会見では、記者から以下のようなストレートな質問があった。

「両殿下にお伺いします。眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され、小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学しました。小室家を巡るさまざまな報道もありますが、小室さんからどのように聞き、どう受け止めていらっしゃいますか。眞子さまの最近のご様子とともに、お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しをお聞かせください」

 これに対して、秋篠宮さまは、こう回答した。

「小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に一度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし、それから、これは、二人にも私は伝えましたが、やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません。私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります」

宮内庁HP「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年)」より

 回答にある「人の家のこと」というのは、小室家の内情のことだろう。そして紀子さまは、

「昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした」
「私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております」
「今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています」
「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております」

などと、長女眞子さまへの思いを強く語られた。その分、母娘の間のわだかまりの深さを感じさせもした。

元号が令和へと変わり、秋篠宮ご夫妻のお言葉は慎重に、そしてかたくなになっていった

 元号が変わって後の2019(令和元)年の紀子さまの誕生日会見では、紀子さまの言葉が慎重であるだけに、親子の間の断絶を感じさせるものがあった。

「延期のことも含め、現在、長女は、さまざまな思いを抱えていると思います。このような状況で、長女の気持ちを推測するなどして現状や今後についてお伝えすることは、控えたいと思います」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和元年)」より

 2カ月後の同年11月の秋篠宮さまの誕生日会見では、以下の質問があった。

「眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が延期され、来年の2月で2年となります。昨年の記者会見の際、『多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、納采の儀を行うことができない』と話されましたが、お二人の結婚に対する殿下の現在の考えや、見通しをお聞かせください。最近、眞子さまとは、どのような話し合いをなさっていますか。小室家とは何らかの連絡をとられていますか。併せてお聞かせください」

 答える秋篠宮さまは、かなりかたくなになっていた。

「結婚の見通し、これについては私が昨年お話ししたことと変わっておりません。ただ、今質問にもありましたけれども、この次の2月で2年たつわけですね。やはりその、昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております。それから長女との話し合いですね。それについては、結婚のことについては話をする機会はありません。最近ですと、この即位礼の一連の行事についての事柄については話をいたしました。また、小室家とは連絡は私は取っておりません。以上です」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和元年)」より

歴史学者が読み解く「眞子さまへの思い」…秋篠宮ご夫妻はなぜご結婚を取り消されないのかの画像1
1990年(平成2年)1月12日、納采の儀(結納の儀式)の際の秋篠宮ご夫妻。学習院大学時代の先輩後輩の間柄であった若いお2人の慶事は祝福され、世間は“紀子さまブーム”に沸いた。(写真:Getty Images)

騒動から3年、眞子さまが発せられた「結婚についての二人の気持ち」という問題

 そして昨年の2020(令和2)年にも、結婚問題について、以下の質問があった。

眞子さま小室圭さんとのご結婚に関する行事が延期されています。眞子さまは13日に発表された文書で、『結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択』と現在のお気持ちを明らかにされました。皇嗣職大夫は会見で、両殿下が『お2人のお気持ちを尊重された』と説明しましたが、『お気持ちを尊重』とは具体的にどういうことなのか、今後のスケジュールや見通しと共にお聞かせください。殿下が以前記者会見で指摘された『多くの人が納得し喜んでくれる状況』になったと受け止められているかについてもあわせてお聞かせください」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)」より

 ここで言及されている「13日の文書」というのは、同年11月13日の「眞子内親王殿下が記されたご結婚についてのお二人のお気持ち」である。ここで眞子さまは、こう述べた。

「一昨年の2月7日に、私と小室圭さんの結婚とそれに関わる諸行事を、皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の本年に延期することをお知らせいたしました。

 新型コロナウイルスの影響が続くなかではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、改めて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。

 前回は、行事や結婚後の生活について充分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。それから今日までの間、私たちは、自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに、様々なことを話し合いながら過ごしてまいりました。私たちの気持ちを思いやりあたたかく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを、心よりありがたく思っております。

 一方で、私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」

宮内庁HP「眞子内親王殿下が記されたご結婚についてのお二人のお気持ち」より

令和2年、秋篠宮ご夫妻は「長女の気持ちを尊重したい」との思いを吐露された

 この文書に対して、秋篠宮さまは、以下のように答えられた。

「娘の結婚について、つい先日、一週間ほど前になりますけれども、長女が今の自分たちの気持ちというものを文書で公表いたしました。皇嗣職大夫の、気持ちを尊重するということでしたね」

「それは結婚することを認めるということです。これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」

「今回はあくまでも2年前に2020年に延期をするということをお伝えしたことに関わるものです。つまり、一連の行事が終わった2020年というのは今年であり、今年は間もなく終わろうとしています。やはりその間に何らかのことを伝える必要があると本人も考えておりましたし、私もそのように思っておりました。そのようなことから現在の気持ちというものを公表したわけです。ですから、今後の予定、見通しなどについてはこれから追って考えていくということになると思います」

「私が多くの人に納得し喜んでもらえるというお話をしたわけですけれども、実のところ多くの人というのを具体的に表すことはなかなか難しいと思います。長女の結婚について反対する人もいますし、賛成する人もいますし、全く関心の無い人もいるでしょう。どれをもって多くというふうに客観的に言うことができるかというとなかなかそれは難しいわけですけれども、あくまで私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています。で、そのことは娘も恐らく同じ気持ちを持っていると考えております。以上です」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)」より

 長い回答となったが、結婚は認めるが、多くの人が納得し喜んでいる状況ではないというのが結論だった。こうして、儀式なき結婚の道が定まったのである。

 他方、紀子さまは、先の2019年の誕生日の回答に続き、2020年の誕生日回答では、以下のように詳細の説明を避けた。

「長女の結婚については、対話を重ねながら、親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切だと考えています。その中では、共感したり意見が違ったりすることもありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合いつつ、長女の気持ちをできる限り尊重したいと思っております。現状や見通しを含め、話したことの内容をお伝えすることは控えさせていただきます」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和2年)」より

 さらに今年、2021(令和3)年の紀子さまの回答では、以下の通り、再び詳細の説明を避けた。

「長女の結婚については、親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております。一連の対応についての受け止めや、今後の見通し、話したことの内容などをお伝えすることは控えさせていただきます」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和3年)」より

秋篠宮ご夫妻の深い絆の根底にある「自由恋愛」を、眞子さまもまた希求されたのではないか

 母娘の間には、国民も安易には入り込めない深い事情があるのだろう。とはいえ、国民の象徴である天皇家の内親王の結婚の内情を、国民が聞かされないまま、結婚して皇籍を離れてしまうことに、多くの国民はとまどっている。

 なぜ、秋篠宮ご夫妻は許可した眞子さまの結婚の取り消しができないのだろうか。その真相はまだ闇の中だ。こうして、結婚内定から現在までの、秋篠宮ご夫妻の会見での発言を追ってみると、当初は好意的に理解していた小室氏の印象が崩れ、皇室と結婚するにふさわしい人物ではないと感じるようになったことがわかる。

 しかし、初めは早い結婚を奨励していたし、小室氏との関係も諸手を挙げて許していた。その矛盾の説明を、眞子さまにうまくできないでいるし、眞子さまも素直には受け入れられないのだろう。平行線なのだ。

 闇の中の真相を、諸情報をもとに想像をたくましくすれば、秋篠宮ご夫妻も学習院大学での先輩後輩の関係にあり、そうした身近な者同士の自由恋愛を大事に考えてきたのだろう。妹の清子さまと黒田慶樹氏の結婚を成就させ、その考えはさらに深いものとなったろう。大学での自由恋愛は自分たち夫婦の深い絆の源流でもある。そのことを2人の娘に幼い頃から語り聞かせてきたろう。そして、天皇とはならない次男の家であったことは、秋篠宮家に自由な風潮をもたらし、その自由さが国民に支持された時期もあった。

 その後、男系男子のいない皇室にあって、男子出産を願われ、将来の天皇たる責務も負うこととなって、秋篠宮家は大きな転換を余儀なくされた。天皇と天皇にならない皇族とでは、生き方の心構えも違うし、育ってきた環境も異なる。2人の娘が思春期を迎える頃、将来の天皇となる弟が生まれ、家としてのライフスタイルを変えざるを得なくなった。

 さらには眞子さまも、年長の内親王として、女性宮家の創設や旧宮家との縁談などに関連する多くの「雑音」を聞くことが増えたろう。天皇にならない家の長女として自由に育った心は、将来、自分が選んだ伴侶に出会い、世界に羽ばたくことを夢見ていたかもしれない。しかし、父と弟が将来の天皇に予定される家となり、自由なくらしも限られてきた。結婚相手も自由に選べなくなるかもしれない。そうした圧迫感が生まれたとしても不思議はない。そんなとき、話が合う異性の同級生と将来は結婚して、窮屈な世界から抜け出そうと思ったかもしれない。

秋篠宮ご夫妻と眞子さまの間の“隔たり”を埋めるための妥協策としての「駆け落ち婚」

 秋篠宮さまは、憲法24条の「結婚の自由」を掲げて、納采の儀はできないが、結婚は許さざるを得ないと述べた。しかし、この条文は一般国民に適用されるものであって、皇族ははじめから対象外と考えるべきではないか。そもそも憲法の条文を理由にするのであれば、職業選択の自由もなく、納税の義務もなく、思想の自由も、信仰の自由も、戸籍すらない皇族の置かれた特殊な状態を、憲法上どう説明するのだろう。都合のいい部分だけ、一般国民と同列に扱ったことに、国民の違和感は増したのではないか。

 むしろ、秋篠宮さまは皇室典範の第12条の条文「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」を理由にすべきだったろう。しかし、それではいかにも法の不備を利用したように見え、さらなる反発が生まれると懸念したのかもしれない。それほどに、秋篠宮ご夫妻と眞子さまの間で、この結婚をめぐる意見の隔たりは深いのだろう。その隔たりを埋める妥協策が、「駆け落ち婚」なのだろう。

 秋篠宮ご夫妻と眞子さまの確執は、1937(昭和12)年の盧溝橋事件以後の戦線拡大を止めようとした石原莞爾が、部下の武藤章に「あなたが満州でやられたことをしているに過ぎません」と皮肉られ返事ができなかったという、あの有名なエピソードにどこか似ている気がする。

「自由恋愛による結婚」を大切に説いてきたご夫妻は、長女の説く「自由恋愛による結婚」の主張に、なんの反論もできないでいるのではないか。

小田部雄次/歴史学者

小田部雄次/歴史学者

1952年生まれの歴史学者で、静岡福祉大学名誉教授。専門は日本近現代史。皇室史、華族史などに詳しく、著書に『皇族 天皇家の近現代史』(中公新書)、『肖像で見る歴代天皇125代』(角川新書)、『百年前のパンデミックと皇室』(敬文舎)、『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)などがある。

歴史学者が読み解く「眞子さまへの思い」…秋篠宮ご夫妻はなぜご結婚を取り消されないのかのページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!