その後、大磯の渡来人の一部は武蔵国の高麗村(現・埼玉県日高市)に移ったといわれる。日高市にある西武鉄道池袋線の高麗駅前には「天下大将軍」「地下女将軍」と記された朝鮮半島の道祖神(将軍標)が建てられている。
関東では5世紀の古墳の周溝などから、馬を殉葬した土壙も相次いで発見されている。おもに信濃国(長野県)、上野国(群馬県)、下総国(千葉県北部と茨城県の一部)などだ。いずれも古代国家の設置した牧の近くとみられる場所で見つかっている。牧で馬を育てるため、東国に住まわされた渡来人たちの残したものとみられる。
馬や馬具の生産にたけた渡来人の多くは、ある程度の軍事集団だったと推測される。実際、神亀元年(724年)に起こった大和朝廷の蝦夷(えみし)に対する戦争では、武将格で高句麗系の後部王起(こうほうのおうき)という人物が東北に派遣されている。
このことから、関東の古墳時代後期には、のちの東国の武士団の萌芽がすでに現れかけているとの見方もある。そうだとすれば、日本の武士の起源は、中央ユーラシア発祥の騎馬文化を身につけた朝鮮半島からの渡来人だったということになる。流鏑馬が草原を疾走する騎馬遊牧民を連想させるのは、自然なことなのである。
昨今、日本の文化を賛美し、他国文化を貶める風潮が目につく。だが古代の倭人は絶えず多くの渡来人を受け入れ、異文化を受容する姿勢を常に保った。それが奥行きのある日本文化を形づくったといえる。いつの時代も、文化の本質はグローバルである。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)
<参考文献>
古代史シンポジウム「発見・検証日本の古代」編集委員会編『騎馬文化と古代のイノベーション』(発見・検証日本の古代2)角川文化振興財団
北村厚『教養のグローバル・ヒストリー 大人のための世界史入門』ミネルヴァ書房
金達寿『日本の中の朝鮮文化(1)』講談社文庫
白石太一郎『古墳とヤマト政権 古代国家はいかに形成されたか』文春新書
網野善彦・森浩一『馬・船・常民 東西交流の日本列島史』講談社学術文庫